シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
一枚の絵葉書との出会い 「聖金曜日」
ローマのノートルダム教育修道女会総本部におりました頃のことです。食堂のサイドテーブルには常時、各国からシスター方がお土産に持参したおいしいチョコレートやキャンディそしてナッツ類が置かれていました。

毎日11時ごろ、シスター方とおやつを楽しんで、ちょうど会話が盛り上がってきた時のことです。 何気なく一枚の地味な絵葉書が目に留まり、それを手にしました。その後もおやつを楽しみながら、その絵ハガキを読んではそっとテーブルに戻し、数回それを繰り返しました。しかし、日本に戻る日が近づくにつれ、戻した絵葉書のことが気になり、もう一度それを手にしました。今回はその詩と本当に向き合ったのでした。とても大切なメッセージが私に語りかけているのに気付きました。私自身の人生がこの詩に凝縮されているように思われたのです。

この英語の詩の絵葉書を原文のまま皆様と分かち合いたいと思います。「詩」の味わいはその人の生い立ちや人生経験によっても多種多様だと思うからです。また、文化的背景によっても異なった受け止め方ができ、詩の意味、内容をその人独自のセンスで理解することが出来ると思います。

  
                Weaver God,
               We come to you,
           Or more the truthーーyou come to us,
            Disconnected and out of sorts.
            Out of our pain, you weave joy,-
         Out of our Good Fridays, you weave Easters,ー
        Out of strands, you weave a fabric, a tapestry,-   
            Out of parts, you weave a whole.

               By Janet Schaffran,CDP
                and Pat kosak,CSJ        
               

私たちの魂の師イエスは自らこの聖金曜日を生き、神のご意思を果たされました。人生を振り返れば誰しも、たくさんの聖金曜日を体験します。この聖金曜日を忍耐・勇気・信頼・希望をもって生きぬいたものだけが、人生の復活の喜びや幸せを深く味わうことができるのでしょう。
シスタージョアンナ徐 : comments (x) : trackback (x)
「やってみる」
「やってみる」
  買い物をおえて、北大路通りへ出たとき、すこし向こうに見える停留所から、修道院へ帰るために乗らなければならない北┐離丱垢やってくる時間だと気がつきました。何人かの人々がバス停でまっているようです。バスの姿はまだ見えません。できれば、30分に1本しかないこのバスに乗りたいものだと思い、急いで歩き始めた時、向こうからやってくるバスの姿が見えました。バス停まではかなりあります。私は走ってみることにしました。早くは走れないので、間に合わないかもしれません。それでもいいのです。やってみたということだけで、私の心はさわやかでしょう。そして、幸いなことに、乗車する人たちの列の最後に、私も、このバスに乗ることができたのです。
  数日後、知人が著者不明の詩のような言葉を、フェイスブックに紹介してくれました。
「『It's impossible,/ said pride.』(『そんなこと、不可能だ、』とプライドは言った。)
『It's risky, / said experience.』(『そんなこと、危険だ、』と経験は言った。)
『It's pointless, / said reason.』(『そんなこと、無意味だ、』と理性は言った。)
『Give it a try, / whispered the heart.』(『やってごらん、』と心はささやいた。)」
私は嬉しくなりました。
シスタールース森 : comments (x) : trackback (x)
お客様をお迎えする 上
母の存命中、彼女の誕生日(1月2日)にお客さまをお招きすることがたびたびありました。毎年、年末年始を母の家で過ごそうと、みんなが集まってきます。母はお客様をお迎えするのが大変好きでした。私たちは平素、母がお世話になった方々への感謝を込め、彼らを我が家にお招きする機会を大切にしてきました。

母は、特に親しい外国の方をお招きすることを楽しみにしていたものです。「異国の地で年末年始を迎えることは彼らにとって孤独と郷愁を強く感じるとき」と母は時々私たちに話してくれました。今年も母から何時、「お客様をお招きする」提案があるかと心待ちにしたものです。

お客様ご招待の話題が食卓に上れば、すぐにそれを実行に移します。彼らの都合を聞き、母の誕生日にあわせて、この日を楽しく迎える計画を立てる時はひとしお心が浮き立ちます。私たち自身は母を喜ばせること、そして母自身もお客様をおもてなしすることをとても楽しみにしているようでした。当日車で、お客様をお迎えにあがったことなども今は懐かしい思い出となっています。

当日の朝早くから掃除、料理その他それぞれが役割を分担し、スムーズに準備が進められるよう心を配りました。特に、料理は大変ですが、それも楽しみの一つで、各自の腕の見せ所でもあります。互いに希望のメニューを出し合い、一連の素敵なメニューができあがりました。母に当日のメニューを伝えると大満足のようです。わたしたちは手順よく準備にとりかかったものです。

京都の大料理人で芸術活動の大家であった北大路魯山人(1883−1959)は「器は料理の着物」という言葉を私たちに遺しました。私たちもこの日ばかりは料理と器の両方をひきたたせる演出を試みたいと欲張ります。平素は高価な器を使う機会はほとんどありませんが、この日だけは心ゆくまで好みの食器を選び、料理に似合った器に盛り付けるのです。女性にとってこのような機会は格別で、しかも外国のお客様にお料理と食器の両方を味わっていただくのです。
シスタージョアンナ徐 : comments (x) : trackback (x)
視 野
視 野
  今朝、ゴミの収集場所に、もう一人のシスターと一緒にゴミの袋をはこびました。収集場所は修道院のそばをながれる泉川にかかる小さな橋の上です。袋に網をかけていると、そのシスターが独り言のように「クレソンかしら?」と、言ったようでした。私が目をあげると2メートル幅の浅く澄んだ流れの端をせっせと啄んでいる鳥のつがいの姿がみえました。「なんという鳥だったかしら?」と、私はつぶやいていました。
  「私はそこに生えている草のことを言ったのよ」と、そのシスターは言いました。立ってみると、私には見えなかったところに、緑の草のおおきな茂みがありました。私の視野には、鳥の姿しかなかったのです。「人は立つところによって、見えるものがこれだけ違うのね。」「人は違うものを見ているのね。」と、私たちは驚きながら、言い合いました。このできごとは私にとって単純で、強烈な体験でしたが、社会の中で人が互いに理解し合って生きるための大切な学びだったと思いました。
  その日、ふと、「青空の鳥にはなれず梅の花」という、友人の俳句がこころにうかんできました。人には限界があるけれども、美しく移りゆく自然のなかで、やさしく人の心に寄りそう豊かさを育てることができるのだと、この句は教えてくれているように感じたのです。
シスタールース森 : comments (x) : trackback (x)
お客様をお送りする
最近、特に、家族や知人との別れがつらくなってきているのを感じます。一期一会の意味が心に染みる年齢となってきたためでしょうか。互いの安寧を祈らずにはおられません。

別れの時はいつでも、母が玄関先まで見送ってくれたことどもが走馬灯のように私の脳裏をよぎります。母は私たちが休暇を終え、帰路につく時は、私たちの好物を沢山準備してくれるのでした。それから私たちを玄関先まで送り出すのです。彼女は愛を込め、私たちが見えなくなるまで手を振り、祝福の仕草をするのです。その母の祝福を受け、たくさんの愛と希望そして勇気を携え帰路につきました。 

別れの少し前、私たちは家庭祭壇で互いの平和と健康を祈り、数日間滞在したことへの感謝を両親と兄弟姉妹に伝えます。母の温かい抱擁そのものが宝でした。見えなくなるまで手を振り見送ってくれた母の姿が今も忘れられません。彼女の祝福は何物にも代えがたい贈物でした。今も右手で私たちのために十字を切り笑顔で送り出してくれた母が恋しくなります。不思議なことに私たち兄弟姉妹は母を見倣い同じ仕草を互いの分かれに際しやっているのです。

修道院でお客様や卒業生、そして知人をお送りする時はいつでも、母がしたと同じように心から彼、彼女のために「無事に家路に着けますように」との祈りを込め、祝福の十字を切りお送りします。

聖書には「平和」についての箇所が無数に記されています。人類が切実に平和を希求する「今・この時」こそ、イエスの「安かれ」をいつも発信しなければと思います。
シスタージョアンナ徐 : comments (x) : trackback (x)