シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
時計店
時計店
  2,3日前から、私の小さな時計が動かなくなっていました。電池が切れたのかもしれません。教会や修道院で、クラスやお話をするときに、手の中にもっていて、時間を計るのに使っているので、どこかで早くみてもらいたいと思いながら歩いていると、思いがけず、私のすぐそばに1軒の時計店があるのに気づきました。私はすぐに戸を開けていました。
  あたたかい声にむかえられた店内には、長いカウンタ−の前のせまい通路に、数脚の椅子が座布団をおいて人待ち顔にならんでいて、私はしぜんにその1脚に腰かけていました。私の手から時計を受け取った女主人は、広い仕事部屋の奥にある広い机の向こうがわに正座して、私の時計のフタを開け、「やっぱり電池が切れています。2年前に入れかえたのですね。フタの裏に記録がありますよ。」といいました。「時計屋さんしか見られない記録なのですね。」と、私がいうと、「そうですよ。」と、答える彼女の声には微笑んでいる気配がありました。
  カウンターのそばのガラスケースには、新しい時計もならべられていましたが、店は修理を専門にしているようです。店内のここかしこに、なつかしい品々が飾られているようでしたが、ゆっくりと眺めるひまもなく電池の入れかえは終わって、女主人のあたたかな声に送られて、店を後にしたのでした。まるで、つかの間、故郷を訪ねたような思いが残りました。
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花ばさみ
花ばさみ
  花ばさみを使おうとおもって、いつもしまってある机の引き出しを開けましたが、みあたりません。たしかに、2,3日まえに使った覚えがあります。修道院の庭に秋をつげて、楚々と咲き始めた白花シュウメイギクを切って、お客を迎えるために、客間に生けたのです。その客間も、ほかの心あたりのところもすべて調べたのですが、どこにも見当たりません。いよいよ最後の手段は、一緒に住んでいるシスターたちに、どこかで見かけなかったか、尋ねてみる以外にないとおもいはじめました。
  そして、私の部屋の椅子にすわって、ぼんやりとガラス戸の外をながめていました。小さなベランダと秋空を横にさえぎるベランダの手すりが陽にかがやいています。ふと、何か1つ、黒いものが、そこに載っているのに気がつきました。私の花ばさみでした。
  このベランダには1度でてみたのです。物事は少し離れて、視野をひろげて全体をみなければ、大切なものを見おとしてしまうのだと、あらためて学んだのでした。
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花を活ける 下 小宇宙
祭壇に活けられた花は祭儀の美をより一層高め、祈りを深めると言われます。 ローマ在住の間、新しい花たちとの出会いが楽しみでした。夢中になって土曜の一日を聖堂で過ごしました。

毎週、新しい花を祭壇に活けるに先立ち、花々への感謝と惜別の情を表すことを常としてきました。「主のため、兄弟姉妹のために一週間、美しく咲き続けてくれたのね。今日であなたとお別れです。本当に有難う。」と囁きます。彼らが愛おしくなります。

日曜日の聖書のみ言葉を反芻しながら、手と心との会話が始まります。不思議にもどう活けようかとか、より美しく活けようなどとの思いはありません。無心に花々と向き合い、手の動くままに活けるのです。完全な沈黙の中でイエスと私との語らいを花に託して表現するのです。 毎日、この聖堂に集う兄弟姉妹が聖なるミサに預かり、花々との親しい出会いがあれば、心に平和が訪れるのではとの願いを込めて活けます。きっと花々も神への賛美に連座し、ともにある幸せを喜ぶに違いありません。

どの花にもそれぞれ個性があり、その個性が生かされる時、もっとも美しい存在を私たちに表現してくれると思います。たった一本の小さな花や小枝も神への現存を感じさせてくれ、どこに活けられても彼ら固有の美しさが引き立ちます。特に、適材適所に活けられた花々は見事な調和を紡ぎ出し、出会う人々に平和を感じさせてくれます。その花たちは一つの小宇宙・ひとつの共同体を表現しているように思われます。小さな花も小枝もそれぞれふさわしい存在のあり方を精一杯、素直に表現しています。その小さな花一つがそこになかったなら美しい小宇宙は存在しないのです。 そして人も自然も、あるがままでいることが互いにとってどれほど尊いかを再認識させられます。

無心に咲き匂う花たちと何時しか親しく語りあっている自分に気がつきます。「いろいろなことを教えてくれる可憐な花たち、あなたの優しさを心から有難う!来週もまたよろしく。」
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花を活ける 上 ローマの花市
本会のローマ総本部で過ごした5年間(2006-2011)、私は毎週土曜日、花市へ出かけました。聖堂へ花をいけるのは私の大切な仕事の一つでした。

花と向きあう時はいつでも、この花々が幸せと平和を私に感じさせてくれたものです。それは直接、神と対話する貴重な時間でもありました。いけ花を通して私はこの草花と出会い、自分とこの花々との共同作業に取り掛かるのです。1週間、ずっと心に温めてきた祈りをこの花々に託して表現します。聖なる作業で沈黙のうちに花々と夢中になって向きあい語り合いました。

未だ、シスター方が寝静まっている早朝5時過ぎ、修道院のガレージから花市場へ向かうのです。大きな聖堂にたくさんの花を、時と場合によっては8か所ぐらい活けるのですから一日がかりの大仕事ですし、大量の花を購入しなければなりませんでした。

大の仲良しのアメリカ人のシスターラバンが車を運転してくれました。道中、彼女と話すのも楽しみの一つで会話がどんどん弾みます。花を買うに際しては前日から「主よ、何を買い、どういけたらいいか教えてください。」と切実に祈りました。また、花市へ行く道すがら、数多くの歴史を紡いできた街々の風景を車中から眺めるのも魅力の一つで、ローマ史の現場検証をしているようでもありました。

花市には実に多くの国の方々が集まり、活気にあふれています。ローマでもかなり大きな花市ですので、市場内を一回りするだけでも時間がかかります。また、どこでドライヴァーのラバンと会うかも確認しなければ迷子になってしまいます。市場に入った途端、出入口を正確に記憶しておきます。市場を一回りし、自分が活けたいと思う花、そして日曜日の典礼にあった花を選ぶのです。意中の花が見つかり 「この薔薇の花、一束いくらですか」と質問します。色・形その他の単語と文章を一番先に覚えたものでした。道中、何回もイタリア語の復習をし、彼女にもそれを確認したことどもが今は懐かしい思い出となっています。

次第にイタリア語に慣れてきますと「予算がこれだけしかないの。少しまけていただけませんか。」と訊ねるのです。そのやり取りが楽しく、彼らとの交流が密になってきました。時には先方から「これ、おまけ」と言ってサービスもしてくれるのです。その時、「有難う」と微笑みながら心からの感謝を伝えます。ある時は「この花、何と言いますか」と質問もするようになり、愛嬌たっぷりに教えてくれるのです。花を通してのグローバルな出会い、心と心の触れ合いが広がっていくのを感じました。行事の多い秋は、私を虜にした花市の人々の息づかいが身近に感じられローマへの思いが募ります。
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「心の中の天使」
「心の中の天使」
  大型の21号台風がきた朝、私は通っている病院でのリハビリの予約がありました。京都市内のすべての学校もお休みになり、デパートさえも閉まり、ラジオもテレビも、早くから外出をひかえるようにと告げています。朝、まだ雨も風もなく、地下鉄もいつも通りに動いているとのこと。私は迷ったすえ、リハビリに行くことにしました。地下鉄もエレベーターもバスもリハビリも、順調で、いつもより早く終わったのです。
  烏丸今出川から、ほとんど乗客のいない帰りの地下鉄に乗ってほっとした私の目に、車の中ほどの天井から下げられている広告に目がとまりました。中学生らしい男の子が席の必要な女性に、「私の心の中の天使が席を譲ってあげなさいとささやいたから」と、席をゆずっている様子が描かれています。私は心がなごんで、思わず微笑んでいました。
  広告の下側には、「あなたの心の中に天使はいますか。」と、書かれています。私の心の中の天使は、私にとって、すべてが順調にはこんだこと、危険な台風が近づいている今、地下鉄やバスを動かし、病院を開くために働いて下さる全ての人々、そして、私が気づいていないけれどもお世話になっている多くの人々に感謝の心を持つようにと、ささやいてくれました。
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