シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
記録と記憶
記録と記憶
  今朝、病院でのリハビリの帰りに、町の時計店によって電池をかえてもらいました。最初の携帯をかたどった親指ぐらいの小さな私の時計のフタをあけて、「2年まえに電池をかえたのですね。フタの裏に記録があります。」と、女主人が言いました。
  その日、病院から持ちかえった「Sohma News」秋号に、私の主治医の先生が、「今年の夏の暑さは異常だったが、去年の暑さはどうだったかというと、記憶はもう曖昧になる。気象庁の記録をしらべたところ、日中最高気温が39度以上の地点が今年は38か所、去年は2か所だけだった。2年前の夏のこととなると、まったく記憶にない。….最近、自分の車に、ドライブレコーダーをつけたところ、記録されているとおもうと、運転もすこし慎重になる。診療の場でも記録の助けを借りて、安全運転に努めたい。」と書いておられました。
  去年の夏、たずねたアメリカの老人ホームにすむ友人は、うつくしいペンマンシップで、綿密につけた日記帳から、私たちが共に過ごした記録をさがしたのですが、見つかりませんでした。アフリカンバイオレットの愛好家だったこの友人は、セントルイスの植物園、ショーズ・ガーデンでの例会のために、2年つづけて私に、日本の生け花をいけてくれるように頼んだのです。訪問のとき、私たちがこのささやかな生け花展のことを記憶にのぼらせることができていたら、日記帳の中に生け花展の記録も見つかり、会話がもっとはずんだだろうと今にして思うのです。
  時計店の女主人のことばが、記録と記憶の関わりを思いめぐらすきっかけとなりました。
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花を活ける 上 ローマの花市
本会のローマ総本部で過ごした5年間(2006-2011)、私は毎週土曜日、花市へ出かけました。聖堂へ花をいけるのは私の大切な仕事の一つでした。

花と向きあう時はいつでも、この花々が幸せと平和を私に感じさせてくれたものです。それは直接、神と対話する貴重な時間でもありました。いけ花を通して私はこの草花と出会い、自分とこの花々との共同作業に取り掛かるのです。1週間、ずっと心に温めてきた祈りをこの花々に託して表現します。聖なる作業で沈黙のうちに花々と夢中になって向きあい語り合いました。

未だ、シスター方が寝静まっている早朝5時過ぎ、修道院のガレージから花市場へ向かうのです。大きな聖堂にたくさんの花を、時と場合によっては8か所ぐらい活けるのですから一日がかりの大仕事ですし、大量の花を購入しなければなりませんでした。

大の仲良しのアメリカ人のシスターラバンが車を運転してくれました。道中、彼女と話すのも楽しみの一つで会話がどんどん弾みます。花を買うに際しては前日から「主よ、何を買い、どういけたらいいか教えてください。」と切実に祈りました。また、花市へ行く道すがら、数多くの歴史を紡いできた街々の風景を車中から眺めるのも魅力の一つで、ローマ史の現場検証をしているようでもありました。

花市には実に多くの国の方々が集まり、活気にあふれています。ローマでもかなり大きな花市ですので、市場内を一回りするだけでも時間がかかります。また、どこでドライヴァーのラバンと会うかも確認しなければ迷子になってしまいます。市場に入った途端、出入口を正確に記憶しておきます。市場を一回りし、自分が活けたいと思う花、そして日曜日の典礼にあった花を選ぶのです。意中の花が見つかり 「この薔薇の花、一束いくらですか」と質問します。色・形その他の単語と文章を一番先に覚えたものでした。道中、何回もイタリア語の復習をし、彼女にもそれを確認したことどもが今は懐かしい思い出となっています。

次第にイタリア語に慣れてきますと「予算がこれだけしかないの。少しまけていただけませんか。」と訊ねるのです。そのやり取りが楽しく、彼らとの交流が密になってきました。時には先方から「これ、おまけ」と言ってサービスもしてくれるのです。その時、「有難う」と微笑みながら心からの感謝を伝えます。ある時は「この花、何と言いますか」と質問もするようになり、愛嬌たっぷりに教えてくれるのです。花を通してのグローバルな出会い、心と心の触れ合いが広がっていくのを感じました。行事の多い秋は、私を虜にした花市の人々の息づかいが身近に感じられローマへの思いが募ります。
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「心の中の天使」
「心の中の天使」
  大型の21号台風がきた朝、私は通っている病院でのリハビリの予約がありました。京都市内のすべての学校もお休みになり、デパートさえも閉まり、ラジオもテレビも、早くから外出をひかえるようにと告げています。朝、まだ雨も風もなく、地下鉄もいつも通りに動いているとのこと。私は迷ったすえ、リハビリに行くことにしました。地下鉄もエレベーターもバスもリハビリも、順調で、いつもより早く終わったのです。
  烏丸今出川から、ほとんど乗客のいない帰りの地下鉄に乗ってほっとした私の目に、車の中ほどの天井から下げられている広告に目がとまりました。中学生らしい男の子が席の必要な女性に、「私の心の中の天使が席を譲ってあげなさいとささやいたから」と、席をゆずっている様子が描かれています。私は心がなごんで、思わず微笑んでいました。
  広告の下側には、「あなたの心の中に天使はいますか。」と、書かれています。私の心の中の天使は、私にとって、すべてが順調にはこんだこと、危険な台風が近づいている今、地下鉄やバスを動かし、病院を開くために働いて下さる全ての人々、そして、私が気づいていないけれどもお世話になっている多くの人々に感謝の心を持つようにと、ささやいてくれました。
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もつれた電話コードとの対話
私の修室の電話コードが修復不可能と思えるほどにもつれてしまいました。

今日こそ,その電話コードを直そうと決心はするのですが、実行には至りませんでした。そうこうしているうちに一つのインスピレーションが沸いてきました。もつれさせてしまったのはまぎれもなく、私自身だと言うことです。気が付いた時点ですぐに電話コードを丁寧に修復していればストレスをためることもなかったのです。

神、自分自身そして人と人とのもつれ等も同じなのではないでしょうか。本当は簡単に解くことが出来るはずですのに、それを後へ後へと引き伸ばした結果、複雑にもつれてしまったのです。私の決断力と実行力の不足がそうさせていたのです。そう思いますと、そのもつれを早く解決しなければとの焦り、反省とともに修復決行の決意を新たにしました。

ある晴れた日曜日の昼下がり、思い切って、もつれた電話コードと格闘しました。先ず、問題の電話コードと真正面から向き合い、もつれ具合を観察しました。よくもまあ、こんなにひどくもつれたものです。一つ一つのもつれを、時間をかけ順にほどいてゆきました。こちらをほどけばあちらがもつれ、そうこうしているうちに、もつれを修復する作業が楽しくなってきました。幾重にも絡みあった電話コードが次第に元通りになり、扱いもスムーズになってきました。気が付いてみると汗びっしょり!丁寧に扱わなかったことを電話コードに何度も詫びました。

現在、私の修室の各種の線は見た目にもきれいに整理され、使用するのも簡単で、電話コードを見るたびに「大丈夫」と言い、にっこり微笑みかけています。
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「愛をこめたから」
「愛をこめたから」
  時おり、修道院にママといっしょに遊びにきてくれる5歳の男の子の幼稚園でも、「夕涼み会」がありました。年長さんたちの夏の年中行事とのこと。
  その日の午前中、年長さんたちは、ニンジンやジャガイモを切って、先生方といっしょに夜のごちそうのカレーライスを作りました。いよいよ夜になって、女の子たちは浴衣、男の子たちは甚平すがたで幼稚園にあつまって、皆でいっしょにカレーライスをたべ、宝さがしをし、花火をたのしみ、最後に、花かざりやレイをつけて、フラダンスをおどりました。先生たちも、パパやママたちも、おどりにくわわりました。子供たちのお気にいりは、声をあげて縄をなげるカウボーイになるところ。最後は子供たちの元気な投げキスで、広間はたのしい笑い声につつまれました。帰りの車のなかで男の子はママに「今までに食べたカレーライスのなかで、今日のが一番おいしかった。ニンジンやジャガイモを切るとき愛をこめたから」と、うちあけました。
  この世界に生まれでる全ての子供たちが、仲間たちや多くの大人たちと心の底から楽しんだ思い出を持つことができるようにと、心から祈ります。
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