シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
ゆく年・くる年
今年も残り少なくなり、カウントダウン………。
床の間にはお正月花が既に活けられています。

お正月料理を作り終え、ようやくみんなが落ち着いた頃、家族全員が「年越しそば」を楽しみます。大家族の我が家では食卓も横長に2つ並べ、孫たちも嬉しそうに食卓の座に加わります。家族全員が少しばかり興奮の渦の中にあります。今年のおそばの味は云々、家族の近況報告等々、会話が弾みます。和気あいあいとした「年に一度の家族大集合!」なのですから。幸せが家族全員にみなぎっているように感じられます。食事も終わり、NHK紅白歌合戦終了後、最寄の寺から除夜の鐘の音が聞こえてきます。私たち家族の聖なる時間がやって来ました。

       感謝と微笑みをもって2018年を振り返り
         希望と信頼のうちに2019年を迎え
            神に賛美を捧げるのです。

この瞬間は家族の誰もが一瞬緊張し、正座して家庭祭壇を囲みます。神のみ子イエスの誕生を祝ってまもない今宵、新しい年を厳粛に迎える心の準備のための聖なる時間なのです。これは我が家の伝統で両親存命の頃から現在に及んでいます。この「聖時間」は家族の誰にとっても懐かしく心を一致させ、家族を和合させる貴重な時間であることを感謝のうちに意識しています。そして今もってこの伝統を誠実に守っています。

  聖書朗読……ヨハネ福音書1章1節−14節 「はじめに言があった。言は神であった。         この言は神とともにあった………………。 
  黙想…………一年を振り返り祈る。→神への感謝と決意を新たにする。
  聖歌…………典礼聖歌 3 1−7 
        新しい歌を主にうたえ、新しい歌を主にうたえ。
       新しい歌を歌おう。さあみ名を祝し、………
   ★家族の全員が一言、祈りや感謝を分かち合うのです。
そして「おめでとうございます」と新年の挨拶が続きます。

大晦日は我が家の愛を確認する尊い時間で誰もがこれに親しんできました。これまでの一年を神に感謝し、新しい年を理想と夢を掲げながら恭しく迎える私たちの神への礼拝と賛美です。2019年に神の栄光と賛美を! Let’s Go!
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ある映像
ある映像
  最近、通りがかりに思いがけず目にとまったテレビの映像が、あざやかに私の心に残っています。雪の降りつもった真っ白な広く急な傾面を白熊の親子が登っています。と、生後何か月なのでしょうか、幼い子熊が足をすべらせました。どうにか止まることができ、登りはじめるのですが、何度もなんども滑り落ちてしまうのです。頂上まで登りついた母熊は、じっと立って、子熊が登ってくるのを待っているようです。子熊がやっと登りついて、母熊とならんでしずかに去っていく後姿を、私は感動しながら見送りました。映像はロシアのマガタン州で撮られ、子熊は6回もすべり落ちたという字幕が画面に流れました。
  きびしい自然のなかを生きる親子の熊の愛の絆、子熊の果敢な挑戦、それを応援するように写してゆく写真家のこころ、画面を感動しながら祈るように見守る人々、全てのものは愛によって結ばれ、神のふかい摂理とやさしさにつつまれて存在しているのだという思いにみたされて、見おわった私の心は安らかでした。
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叱り方と愛のぬくもり
弟が神妙な顔つきで母の前に正座しています。

母は温厚な人で、大声を出したり、感情をむき出しにすることは決してありませんでした。その彼女が、今日は幼い弟に向かって何か神妙な面持ちで話をしています。何事だろうと思って私はその二人に近づきました。度を越したいたずらをしたらしいのです。その場に私も加わり、彼の悪さをいくつか挙げ、幼い弟を窮地に追いやってしまいました。弁明することも出来ず弟は頭を下げ、しょげきっていました。しばらくして彼は母の許しを得ることができました。いつもの元気良さを取り戻し、嬉しそうに友達のもとに走っていきました。母から叱られたことなど微塵も感じさせない天真爛漫な元気のいい弟に戻っていたのです。

私と母だけがその部屋に残りました。一息ついたその時、母は私に向かって話しかけました。「私が叱っているときは、あなたが彼をサポートしてほしかったの。小さい弟が私に怒られ泣いているのに、あなたが追いうちをかけたら、彼は弁明も出来ないでしょ?あなたがそばで彼を庇ってほしかったの。」と言いました。今、それを思いますと本当に自分の至らなさが恥ずかしくなります。姉として幼い彼に心から寄り添うことができなかったのですから。

長い人生の坂道を登りながら、その母の温かさと思慮深さに圧倒されます。母の叱り方やちょっとしたしぐさには愛のぬくもり、そして安らぎが見え隠れしていました。

カトリック教会では11月を死者の月と定めています。すでに旅立って逝った両親を偲び、誰にでも温かさと尊敬をもって接するという遺訓を大切にしたいと心に固く誓いました。
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セントポーリア
セントポーリア
  先日、友人からセントポーリア(アフリカスミレ)の鉢をいただきました。直径7センチほどの小さな鉢に、古代紫の地に白い縁どりのある八重の花を10も咲かせ、蕾もたくさんつけています。地味なうちにもどこか華やいだこの花を眺めていて、短い間ですが、アメリカの同じコミュニテイで生活した1人のシスターのことが思い出されました。
  このシスターの趣味はセントポーリアを育てることで、愛好家グループにも属していました。セントルイスにはショーズ・ガーデンというりっぱな植物園があり、セントポーリアの大きなコンテストも催されます。シスターのグループはこの植物園で例会を開きます。私はこの同好会から、メンバーたちが例会をしている間に、日本の生け花をいけて、見せてほしいと頼まれたのです。メンバーのうちに、花器や生け花の道具と広い庭で育てた花材を売る店をもつ人がいて、店のものは何でも使っていいし、根元から切り取るという条件で庭の花材をなんでも切ってよいと言われ、私は思いのままに、10鉢もの生け花を紹介できたのです。ちなみに、この同好会に招かれる講師のお礼は、1回が25ドルだそうで、2回小さな花展をした私は合計50ドルいただいたのです。
  去年、セントルイスのケアーハウスに住むこのシスターを見舞うことができたのですが、2人ともセントポーリアのことも私の小さな花展のことも思い出しませんでした。けれども、この花によってもたらされた絆と喜びは、今も私たちの中に生きています。
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心の化粧水  その2
その彼が「いつも笑顔でいてください。時には顔の筋肉を動かしたり、微笑む練習をすれば美しくなれますよ。神と人とを心から愛するのです。」とおっしゃいました。ところがその彼のごく平凡で日常的な話がこれほどまでに人をリラックスさせ、早朝からミサに集められた人々を虜にしたのは彼自身の柔和なたたずまいとあたたかさだったのです。愛と微笑みは私たちに「幸せと健康」を運んできます。

聖なるミサ聖祭が終わった後、彼に挨拶しました。「シスター、ずいぶん長い間、外国にいたのですね。韓国語が少しおかしくなってきたようです。」 私は「日本で生まれました。旅人です。神父様、今朝のお話、とても心惹かれました。原稿をいただけませんか。」彼は笑顔で「ほんのサマリーですよ」とおっしゃり2枚の原稿をくださいました。

その翌日はトラピスト修道司祭の最後のミサです。ミサの後、別れと感謝の挨拶をしました。彼はその私に「シスター、今日も必要でしょう?」とおっしゃりさりげなく原稿をくださいました。私の貧しい韓国語理解を察してか、6ページにわたるわかりやすい原稿をこの私のために準備してくださったのです。彼のやさしさが有難く何度も読み返し、今も両手を合わせたくなります。彼との出会いは神からの思いもよらないプレゼントでした。
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