シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
豪雨
「こんな雨を見るとたまらない。神戸は急な坂道が多いでしょう」と激しく降る雨を見ながらその80代の女性は話されました。
傾斜が急な坂での豪雨、ほとんど垂直に滝のように流れる水の中を歩きあぐねている時、その流れの中を必死に歩いている小学1、2年生くらいの女の子に気付いたそうです。その子を自分の方に引き寄せようと傘を差し伸べたところその子は両手でしっかりと握ったそうです。良かったと思ったのもつかの間、急な坂を流れる水の中で傘を握っていることができず、その子は、流されて行ったそうです。その水の流れはまっすぐ海に入っていたそうです。

50年以上も前のことで、その頃、神戸で激しい雨が降ったことを後で知りました。
近年、今までにない豪雨とか多くの災害が報道されます。

いずれ天気は回復し、報道記事を見た私達の記憶も薄れますが、災害に遭われた方々のことが気になります。
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すずめ
4月から腰椎骨折で3月ほど入院しました。一昨年のくも幕下出血による1年近い入院生活に続くもので心も萎えそうになりながら、毎日病室の窓辺の桟に来る2,3羽のすずめを眺めていました。そのうち聖書の中で語られているイエスさまの次のお言葉が聞こえてくるような気がしました。

「2羽の雀が1アサリオンで売られているではないか。だがその1羽さえ父(神)のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなた方の髪の毛までも一本残らず数えられている。だから恐れるな」。(マタイ福音書10章、29節)
同じような内容が6章でも語られ、ています。神様はいろいろなものを通してご自分の思いを私たちに伝えてくださると感じました。
イエスさまのメッセージを伝えてくれたかわいい雀たちでした。
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こげたご飯
小学3年生頃のことです。母が留守の時、何か手伝いをしたいと思い、ご飯を炊くことにしました。薪の火で炊くのです。薪の火でご飯を炊くのはむつかしいのですがなんとか炊けそうでした。火がついたのを見て安心した私は遊びに行きました。
ところが遊びに夢中になってご飯のことはすっかり忘れてしまいました。
思い出して帰るとちょうど母が戻ったところでした。
お釜のふたを取るとご飯は真黒に焦げ一番上まで、炭のように真黒に固まっていました。「ごめん」と泣きそうな声で言いました、
母は「せっかくしてくれたのにね」と言い、それ以上はなにも言いませんでした。
戦後まもない頃で食料も乏しい頃でした。

手伝いたい私の気持ちだけを受け止めてくれた優しい母を思い出すできごとです。
この母は今年の2月20日に98歳で亡くなりました。初めてのお盆をむかえます。
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チーズ
その神父様は修道院で生活なさっていました。
その修道院では食事のときチーズが大きな塊のまま出て、各自が自分に必要なだけ切り取って次の人に回すそうです。
ある時、隣の人が、チーズを、4分の1のところで切り分け、そのおおきいほう、つまり4分の3を自分の皿に取り、残りの4分の1を次の人に渡されたそうです。

そしてその神父様は澄ました顔でおっしゃいました。「そういう時、あと何人いるのにとか、人のことを考えない人だと思わず、その人がお腹を壊しませんようにと、心の中で、祈るのですよ」と。人を裁かないとはそういうことかと妙に納得して聞いていました。実生活の中で、このように祈るのは難しいことですので心に残っています。

朝食に、チーズがでるたびに思い出します。
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イチジクその後
挿し木した無花果の為、天からの雨を期待しましたが、かんかん照りが続きました。自分では何もしないで、ただの神頼みは、やっぱり無理かなと思った頃、雨が降り始めました。初めは、喜びましたが、連日、土砂降りの雨に、ただ折れただけの枯れ枝が水浸しになっているのだったら、腐る可能性もある。と心配になりました。
雨がやんでから枝を触ってみると力なく揺れ、地面からスポッと抜けてしまいました。根が出ないまま腐っていたのです。
3年間の猶予を願ったルカ福音のイチジクはどうなったか知りたくて聖書を、開いてみました。(12章)が、その後のイチジクについては何も記されていませんでした。

少し前から目を通すとそこには、神とのつながりを大切にせず、自分の思いだけで生活している人々向かって「悔い改めなさい。まず神の国、神とのつながりを求めなさい。そのようにしてない者は実のならないイチジクと同じで、切り倒される。でも神は、忍耐強く、愛深い方だから、待たれる。
待ってもらっているのだから早く悔い改めて、神様との関係をしっかりと立て直しなさい」と呼びかけていらっしゃる話のように感じられました。

他にも聖書には、葉は茂っているのに実をつけていないイチジクの木が、イエスさまから叱責され、次の日に根元から枯れてしまっていたという話が載っています(マテオ福音21章18−22節)


イチジクはイスラエルの人々には身近な植物であり,聖書の中でもよく取り上げられています。
そこではいつも実が期待されてます。
今回は挿し木に失敗しましたがまたいつか試みたいと思っています。その時にはおいしい無花果を食するためだけではなく、聖書のメッセージを
しっかりと、受け止め、それを生きるための自戒の木として植えたいと思っています。
もちろんおいしい実がなればこんなに嬉しいいことはありません。
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