シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
 「 お客様をお迎えする 下 」
食事を楽しんでいるみんなの顔に幸せが広がっていきます。平素使われなかった食器たちも、久しぶりにみんなに出会えて喜んでいるに違いありません。時間が経つにつれ、会話の内容も豊かになりました。故郷のこと、家族のこと、お正月やクリスマス、イースターの過ごし方その他、たくさんのことを知る機会となりました。心がオープンになり言葉の壁がなくなっていきます。心と心が触れ合い、優しさが互いの心を結びつけています。二人のお客様といろいろ分かち合えた事、時間をともに過ごせたことが何よりうれしく感じられました。

母が若いお客様に愛をもって接していたことが今も心に残っています。「年の功」とでも言うのでしょうか、お客様をもてなす母の姿には包み込むような温かさがにじみ出ていました。

かなりの時間が瞬く間に過ぎてゆきます。最後に、お客様が感謝の思いを祈りに込められ、手を合わせ微笑まれました。その瞬間、「そう、来年もまた、彼らを我が家に是非、お招きしよう」との思いがみんなの心に膨らんでいったのは言うまでもありません。

かつて、砂漠の炎天下を通り過ぎようとした旅人を呼び止め、自ら給仕してもてなすアブラハムの姿 ( 創世記18章1−8節 ) がよみがえってきます。お客様を我が家にお迎えするたびに懐かしく思い出す恵みの原風景! 

母は無言のうちに愛の多様なあり方を私たちに残してくれました。
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「 お客様をお迎えする 中 」
「お客様が来られました。」との声が玄関から聞こえてきました。

「よくいらっしゃいました。」と家族が全員、笑顔で彼らを出迎えました。もちろん、今日のお客様をお迎えする主人公は母です。いつも笑顔を絶やさない彼女の穏やかな姿が今日は一段と素敵に見えます。「寒いですね。そのままお上がりください」と語りかけています。天井に届くかと思われるほど背の高い、若いお客様をもう一人連れて来られたのです。お客様が母にその若い方を紹介しています。初めての対面とは思われない若い方と母との会話がほほえましく、こちらまで引き込まれそうです。彼はまだ日本語もたどたどしいのですが、目と目を合わせ母と話しながら頷いています。

座敷に通された外国のお客様は次第にリラックスしてきたようです。お茶をお出しし、頃合を見て食事に入ります。さあ、私たち女性の出番です。客間の会話の進行具合を見ながら彩りよくテーブルに料理を並べました。今日はいつもと違い、お客様に食事の祝福をお願いしました。「最後の晩餐」を髣髴とさせる光景です。グラスにワインが注がれ、威勢の良い「乾杯」の音頭がとられました。楽しい食事の始まり……!

私たちとの触れ合いを通して、お客様は故郷のご家族のことを思い出しているかもわかりません。彼らには我が家の料理が珍しいようで、食べ方や料理の由来等への質問が多々ありました。兄弟たちがそれについて説明しています。英語が飛び交い、相互に言葉の不足を補い合うのですが、チンプンカンプンの時もあって、爆笑の連続でした。「お客さまとの会話を大切に」と心を配っている母の幸せな様子も視野に入ってきます。 料理人の私たちにも質問が向けられ、我が家の料理の秘伝を披露し、いっそう親密さも増してきました。
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一枚の絵葉書との出会い 「聖金曜日」
ローマのノートルダム教育修道女会総本部におりました頃のことです。食堂のサイドテーブルには常時、各国からシスター方がお土産に持参したおいしいチョコレートやキャンディそしてナッツ類が置かれていました。

毎日11時ごろ、シスター方とおやつを楽しんで、ちょうど会話が盛り上がってきた時のことです。 何気なく一枚の地味な絵葉書が目に留まり、それを手にしました。その後もおやつを楽しみながら、その絵ハガキを読んではそっとテーブルに戻し、数回それを繰り返しました。しかし、日本に戻る日が近づくにつれ、戻した絵葉書のことが気になり、もう一度それを手にしました。今回はその詩と本当に向き合ったのでした。とても大切なメッセージが私に語りかけているのに気付きました。私自身の人生がこの詩に凝縮されているように思われたのです。

この英語の詩の絵葉書を原文のまま皆様と分かち合いたいと思います。「詩」の味わいはその人の生い立ちや人生経験によっても多種多様だと思うからです。また、文化的背景によっても異なった受け止め方ができ、詩の意味、内容をその人独自のセンスで理解することが出来ると思います。

  
                Weaver God,
               We come to you,
           Or more the truthーーyou come to us,
            Disconnected and out of sorts.
            Out of our pain, you weave joy,-
         Out of our Good Fridays, you weave Easters,ー
        Out of strands, you weave a fabric, a tapestry,-   
            Out of parts, you weave a whole.

               By Janet Schaffran,CDP
                and Pat kosak,CSJ        
               

私たちの魂の師イエスは自らこの聖金曜日を生き、神のご意思を果たされました。人生を振り返れば誰しも、たくさんの聖金曜日を体験します。この聖金曜日を忍耐・勇気・信頼・希望をもって生きぬいたものだけが、人生の復活の喜びや幸せを深く味わうことができるのでしょう。
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お客様をお迎えする 上
母の存命中、彼女の誕生日(1月2日)にお客さまをお招きすることがたびたびありました。毎年、年末年始を母の家で過ごそうと、みんなが集まってきます。母はお客様をお迎えするのが大変好きでした。私たちは平素、母がお世話になった方々への感謝を込め、彼らを我が家にお招きする機会を大切にしてきました。

母は、特に親しい外国の方をお招きすることを楽しみにしていたものです。「異国の地で年末年始を迎えることは彼らにとって孤独と郷愁を強く感じるとき」と母は時々私たちに話してくれました。今年も母から何時、「お客様をお招きする」提案があるかと心待ちにしたものです。

お客様ご招待の話題が食卓に上れば、すぐにそれを実行に移します。彼らの都合を聞き、母の誕生日にあわせて、この日を楽しく迎える計画を立てる時はひとしお心が浮き立ちます。私たち自身は母を喜ばせること、そして母自身もお客様をおもてなしすることをとても楽しみにしているようでした。当日車で、お客様をお迎えにあがったことなども今は懐かしい思い出となっています。

当日の朝早くから掃除、料理その他それぞれが役割を分担し、スムーズに準備が進められるよう心を配りました。特に、料理は大変ですが、それも楽しみの一つで、各自の腕の見せ所でもあります。互いに希望のメニューを出し合い、一連の素敵なメニューができあがりました。母に当日のメニューを伝えると大満足のようです。わたしたちは手順よく準備にとりかかったものです。

京都の大料理人で芸術活動の大家であった北大路魯山人(1883−1959)は「器は料理の着物」という言葉を私たちに遺しました。私たちもこの日ばかりは料理と器の両方をひきたたせる演出を試みたいと欲張ります。平素は高価な器を使う機会はほとんどありませんが、この日だけは心ゆくまで好みの食器を選び、料理に似合った器に盛り付けるのです。女性にとってこのような機会は格別で、しかも外国のお客様にお料理と食器の両方を味わっていただくのです。
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お客様をお送りする
最近、特に、家族や知人との別れがつらくなってきているのを感じます。一期一会の意味が心に染みる年齢となってきたためでしょうか。互いの安寧を祈らずにはおられません。

別れの時はいつでも、母が玄関先まで見送ってくれたことどもが走馬灯のように私の脳裏をよぎります。母は私たちが休暇を終え、帰路につく時は、私たちの好物を沢山準備してくれるのでした。それから私たちを玄関先まで送り出すのです。彼女は愛を込め、私たちが見えなくなるまで手を振り、祝福の仕草をするのです。その母の祝福を受け、たくさんの愛と希望そして勇気を携え帰路につきました。 

別れの少し前、私たちは家庭祭壇で互いの平和と健康を祈り、数日間滞在したことへの感謝を両親と兄弟姉妹に伝えます。母の温かい抱擁そのものが宝でした。見えなくなるまで手を振り見送ってくれた母の姿が今も忘れられません。彼女の祝福は何物にも代えがたい贈物でした。今も右手で私たちのために十字を切り笑顔で送り出してくれた母が恋しくなります。不思議なことに私たち兄弟姉妹は母を見倣い同じ仕草を互いの分かれに際しやっているのです。

修道院でお客様や卒業生、そして知人をお送りする時はいつでも、母がしたと同じように心から彼、彼女のために「無事に家路に着けますように」との祈りを込め、祝福の十字を切りお送りします。

聖書には「平和」についての箇所が無数に記されています。人類が切実に平和を希求する「今・この時」こそ、イエスの「安かれ」をいつも発信しなければと思います。
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