シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
誕生日 Part 3
11月をカトリック教会では「死者の月」と定めています。

11月1日、この日は諸聖人の祝祭日と称し、全世界の教会は、全ての聖人と殉教者を称え感謝を捧げます。そして11月2日、亡くなった人々のため全世界の津々浦々(つつうらうら)にある教会は、すでに天に召された人々を偲び永遠の安息を祈ります。この日にとどまらず聖なるミサの中や食後にも、私たちに先立って逝かれた人々を記憶するのです。

ちょうどローマにおりました頃(2011−2016)のことですが、11月1日は諸聖人祭で公休日です。この日、私どものシスター方とバチカンのカンポ・サント(聖なる地=墓地)を訪れました。このカンポ・サントには数名のノートルダム会員が眠っています。前日、ローソクとお花とマッチを準備しました。死者のために祈るのは何処も同じで、厳粛な気持ちになります。カンポ・サントで祈った後、それぞれの墓石を見て回りました。それを見ていますと、彼らの生活や人間関係が感じられ微笑ましくなります。祖国を離れ異国の地に眠る人々のことが身近に感じられ、時空を超えていっそう深く彼らのために祈りたくなります。ずいぶん昔からこの地は墓地として利用され、貧しい人々の永眠の地でした。

ローマ在住のあいだ、11月1日にかかわらず 私は、しばしばこのカンポ・サントを訪問し祈りました。カンポ・サントとバチカンは目と鼻の先にあります。教皇との祈りの時間に遅刻しないようバチカン広場に向かいました。まもなく教皇の二階の自室が開かれます。全世界からの旅人も含め、人々の視線が二階に集中します。「ヴィヴァーバーパ!」と連呼し、愛を表現します。広場の人々の表情はとても穏やかで平和そのものです。祈りと慈父の心をもって教皇は私たちに祝福を送られました。

生と死は背中合わせと申しますが、私は11月1日の諸聖人祭と11月2日の死者の記念日を特に感謝と尊敬をもって迎えています。この世の生を終え、新しい命へと旅立つ第二の誕生日とこの2日間を思い、いつか迎えるこの日を、愛をこめて受け入れることができますよう願っています。
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誕生日 Part 2
誕生日 Part 2

朝の祈りをしている私たちの居間に、ワカメスープの匂いがプーンと漂ってきました。もうすぐ叔父・叔母そしていとこたちが祝いのためにやって来るのです。

今日は父の誕生日。 母は白いエプロンを着け、朝餉(あさげ)の準備中です。韓国では、誕生日は貧富の差を越え、ワカメスープを食べ、両親や家族のみんなに感謝する習慣があります。ワカメは栄養価が高く、妊産婦や授乳期にあるお母さん方が食べると良いとされています。また、子供の成長や健康を願ってワカメは食卓の主賓となります。友人たちも開口一番「ワカメスープを食べたの」と質問し、誕生日を祝ってくれます。

祖母亡き後、惣領息子である父が我が家のリーダーです。母は惣領嫁として家族の伝統を大切に守ってきました。私たち家族はそのような母が大好きで深く尊敬していました。嫁としての母の務めは多々あり、親戚や近所の人々にあたたかく接し、家族全体をまとめる大役を担っています。彼女は特に、祖母と父の誕生日を大事にしておりました。子供ながらにそれぞれに対する母の心遣いや配慮に感嘆し、それと同時に「大変だ」と思っていました。密かに母にエールを送りもしたものです。お正月や家族の大切な行事には、必ずみんなが本家に集まり互いの安否を気遣うのです。

我が家では、今も誕生日はとても大切にされています。大家族の一員として育った私たち兄弟姉妹はそれぞれの誕生日を心に留め、愛を分ちあい、電話やカードを送って感謝の気持ちを伝えあって来ました。母亡き後、惣領娘の姉が私たち弟妹一人ひとりの誕生日に赤飯やおはぎをつくり祝ってくれています。命を与えてくださった神と両親そして兄弟姉妹相互の絆が深まるのもこの誕生日に起因するのでしょう。

いつしか、「今日こそ神が造られた日、喜び歌え、この日をともに。」の詩篇を口ずさんでいました。
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誕生日 Part 1
第二次世界大戦の最中、私は650gの嬰児としてこの世に生を受けました。

当時25歳の母と父の超緊張した姿が幾重にも連想されます。ぐったりした母のそばで助産婦代わりに、私のへその緒を切った父はどんな思いだったでしょうか。余命いくばくも無い私の命を放棄することなく最後まで信じ、私の魂に愛を注ぎ続けてくれた両親に感謝しないではいられません。

思えば戦中の田舎、しかも突然、家で生まれた私を途方も無く心細くそれでも若い夫婦の「この子を生かす」との真剣な姿が今はほほえましく思われます。生後2日目に洗礼を受けることになった私をせめて神様の御前に行かせたいとの切ない両親の願いを神様は聞き届けて下さったのでしょう。私はこの世へと確かに招き入れられ、少しずつ元気をいただき成長してゆきました。

ちょうど3歳の頃だったと思います。風邪がようやく治りかけた私は、うれしくて部屋の中をキャーキャー言いながら飛び回っていたようです。喜んでいた矢先、大きなやかんに躓き、熱湯を下半身に浴びました。私の子守を引き受けていた祖母の驚きと嘆きが今も目に浮かぶようです。少し元気になった私を、顔をほころばせながら見ていた祖母の悲鳴と言葉にならない苦悩。中学生の頃、体に似合わず大きなかばんを背負い登下校する私に、祖母はよく声をかけ、いつも心にかけていたことを鮮明に思い出します。

私の成長にまつわるエピソードの数々を知る近所のおじさん、おばさんは「あの子がこんなに大きくなったとは」と言い、成人した私を喜んでくれました。幼い頃より「命に呼ばれた者にはその人固有の使命がある」とこれまでかたく信じてきました。

神様、命を有難う!本当に有難う! 朝な夕な今も尚、素直にそうささやいています。
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母の祝福
母の祝福
シスタージョアンナ徐

年老いた母が背をかがめ炊飯器の前に立っています。

 ふと、平素とは違った雰囲気を母の背に感じました。娘の私が久方ぶりに家族を訪問したというので、母は料理の腕を振るっています。母はしゃもじを右手に何かしています。後方からそのしぐさを注意深く見ていた私の目から涙があふれました。母は炊飯器に向かって十字を切っていたのです。祈る姿は神々しく、この台所兼食堂が聖なる場になっているのを感じました。瞬間、言いようのない幸せを感じたのです。これほどまでに家族のために祈り続け、温かさを感じさせてくれた母! 深い愛と誇りを感じました。神の思いを無言のうちに家族に発信していた彼女は、今も家族にとっては人生の師であり、笑みをたたえた母が恋しく思われます。

 いつもそうしてくれていたのでしたが、私たちはそれに気づいていませんでした。母のこの尊いしぐさは多くを語るよりも愛の深さを感じさせてくれ、今も私たちはそれを継承しています。ですから食事はとても大切で、幸せを分かち合う時間でもあります。

母は品位をもって人として生きることの大切さを彼女の生き方を通して教えてくれました。彼女のこの何気ない行為から教えられたことは何と多かったことでしょう。

 昔とは違い、家族がともに食卓に向かう時間はなかなか取れませんが、ともに食事のテーブルについた時は先ず、神に感謝を捧げ、食事とともに一日を始めます。修道院でも炊きたてのご飯を前に炊飯器に向かう時はいつでも、母がしたように私も十字を切り、シスター方の幸せと健康を祈ります。
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天真爛漫
まだそれほど人気(ひとけ)が感じられない土曜日の朝、高野川の流れに耳を傾け、新鮮な空気を心ゆくまで味わっていた矢先のことでした。「シスター、おはようございます。」生き生きした明るい声に驚いて後ろを振り向きました。お会いしてまだ日は浅いのですが出会うたびごとに何故か深い感銘を受ける一人の老婦人だったのです。7時半のミサに間に合うよう自転車のペダルを軽やかに漕ぎながら私の前を通り過ぎていきました。

八十路半ばに近い彼女の老いを感じさせないあのはつらつとしたたたずまいは何だろうと思いつつ前列に座り祈りに集中しました。老婦人もこの聖堂で祈りに加わっています。彼女の美しい姿が視野に入ってきます。張りのある彼女の声も聞こえてきました。

ミサが終わり再度、挨拶を交わした時、こぼれるほどの笑顔とやさしさが返ってきました。周りの方々とも会話を楽しんでいるのです。彼女のちょっとした表情や微笑から人生の辛苦を乗り越えてきた人だけが持つゆとりと暖かさを感じないではいられませんでした。天真爛漫なあの素直さを私も見習いたいと思いつつ帰途につきました。

毎週土曜日、同じ時刻そして同じ道をたどりながらあの弾んだ声と人生の大先輩にまた会えるかと思うと幸せが広がってきます。帰路は車窓から高野川の流れを楽しみ、いつしか「心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る!(マテオ5章8節)」を口ずさみ、新しい週の始まりを心待ちにしている私でした。
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