シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
母の祝福
母の祝福
シスタージョアンナ徐

年老いた母が背をかがめ炊飯器の前に立っています。

 ふと、平素とは違った雰囲気を母の背に感じました。娘の私が久方ぶりに家族を訪問したというので、母は料理の腕を振るっています。母はしゃもじを右手に何かしています。後方からそのしぐさを注意深く見ていた私の目から涙があふれました。母は炊飯器に向かって十字を切っていたのです。祈る姿は神々しく、この台所兼食堂が聖なる場になっているのを感じました。瞬間、言いようのない幸せを感じたのです。これほどまでに家族のために祈り続け、温かさを感じさせてくれた母! 深い愛と誇りを感じました。神の思いを無言のうちに家族に発信していた彼女は、今も家族にとっては人生の師であり、笑みをたたえた母が恋しく思われます。

 いつもそうしてくれていたのでしたが、私たちはそれに気づいていませんでした。母のこの尊いしぐさは多くを語るよりも愛の深さを感じさせてくれ、今も私たちはそれを継承しています。ですから食事はとても大切で、幸せを分かち合う時間でもあります。

母は品位をもって人として生きることの大切さを彼女の生き方を通して教えてくれました。彼女のこの何気ない行為から教えられたことは何と多かったことでしょう。

 昔とは違い、家族がともに食卓に向かう時間はなかなか取れませんが、ともに食事のテーブルについた時は先ず、神に感謝を捧げ、食事とともに一日を始めます。修道院でも炊きたてのご飯を前に炊飯器に向かう時はいつでも、母がしたように私も十字を切り、シスター方の幸せと健康を祈ります。
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天真爛漫
まだそれほど人気(ひとけ)が感じられない土曜日の朝、高野川の流れに耳を傾け、新鮮な空気を心ゆくまで味わっていた矢先のことでした。「シスター、おはようございます。」生き生きした明るい声に驚いて後ろを振り向きました。お会いしてまだ日は浅いのですが出会うたびごとに何故か深い感銘を受ける一人の老婦人だったのです。7時半のミサに間に合うよう自転車のペダルを軽やかに漕ぎながら私の前を通り過ぎていきました。

八十路半ばに近い彼女の老いを感じさせないあのはつらつとしたたたずまいは何だろうと思いつつ前列に座り祈りに集中しました。老婦人もこの聖堂で祈りに加わっています。彼女の美しい姿が視野に入ってきます。張りのある彼女の声も聞こえてきました。

ミサが終わり再度、挨拶を交わした時、こぼれるほどの笑顔とやさしさが返ってきました。周りの方々とも会話を楽しんでいるのです。彼女のちょっとした表情や微笑から人生の辛苦を乗り越えてきた人だけが持つゆとりと暖かさを感じないではいられませんでした。天真爛漫なあの素直さを私も見習いたいと思いつつ帰途につきました。

毎週土曜日、同じ時刻そして同じ道をたどりながらあの弾んだ声と人生の大先輩にまた会えるかと思うと幸せが広がってきます。帰路は車窓から高野川の流れを楽しみ、いつしか「心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る!(マテオ5章8節)」を口ずさみ、新しい週の始まりを心待ちにしている私でした。
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「はい」
私の修室に少しばかり憂いを帯びたルネッサンス期の聖母子像がかかっています。この小さな絵は、私のイエスに向かう旅路の導き手です。私はイエスに青春と生涯のすべてを賭けました。イエスを膝に抱き、物問いたげな表情のマリアに親しみを感じ、朝な夕なこの絵の前で祈る時、心に平和を覚えます。
多くの音楽家、画家、詩人、彫刻家は好んで聖母子を彼らの作品のモチーフとしてきました。無数の傑作が世紀を越えて生まれ、人々を魅了し続けています。風薫る5月は聖母マリアに捧げられ、全世界のカトリック教徒はこぞって彼女を称え「アヴェマリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます…」と賛美します。
イスラエルの寒村、ナザレでまだ幼さが残る14,5歳のこの少女が歴史を一変させるほどの出来事を前にしています。天使ガブリエルが彼女に「あなたは身ごもり男の子を生むでしょう!」と告げたのですから。純真無垢な彼女のためらいや恐れを芸術家たちは自分流に表現しようとします。
マリアもまたイスラエルを救うメシアを待望していました。彼女はすべてを賭けて神の望みに「はい」と応えました。当時のユダヤ社会での女性の地位と歴史的背景を考える時、彼女の恐れは頂点に達していたに違いありません。それにもかかわらず彼女は「はい」と応えたのです。
21世紀の今も私たちは「はい」をいろいろな状況に直面し繰り返します。この言葉の意味を現代に生きる私たちはどれほどの重みをもって発しているでしょうか。 結婚の誓い、誓願、証言、公約、種々の約束その他……
彼女はその年齢では考えられないほどの思慮深さと神への信頼をもって「はい」と応え、自分に課したこの「はい」を生き抜きました。
聖マリアは私にとってかけがえのない存在であり鑑です。今日も一日、生かされていることに感謝しながら人々とのかかわりの中で誠実に歩みたいと思います。
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粧い
「女史箴図」は東晋(317−420)の画聖、顧之が西晋(265−316)の張華の「女史箴」を1節ごとに絵で表したものです。女史は「後宮の女官」、箴は「戒めの文」を意味します。張華が専横を極めた皇后一族を諌めるため自らを女史になぞらえ「女史箴」を著したと伝えられています。その中の第4図は宮中の女官に作法や心得を説く目的を以て描かれています。
かつてノートルダム女学院で世界史を担当しておりました折、顧之について同様の内容を説明したことが懐かしく思い出されます。この宮廷の女官が鏡に向かい化粧に余念のない描写がみごとで、その画面に吸い寄せられます。春の訪れが待たれる今日この頃、行事や外出の機会が多くなり、何を装いの基準にしているかと考えさせられる場面に時々遭遇します。調和がとれ、しかも品性と内面を映し出させてくれる粧いをした方に出会った時は幸せを感じ魂が清められる思いがし、自分自身への反省の機会となります。
制服を美しく着こなしている学生、職業人であればその職種にあった服装できびきび働く姿は美しくその方の品格に触れたようですがすがしい気分になります。
お正月の昼下り、山手線で前の座席に静かに腰を下ろされた方にわれ知らず目がゆき ました。本に集中しておられ背筋をピンとはった和服姿の老紳士のたたずまいが一幅の絵のようで私の瞼に今もありありと焼きついています。又、かつて毎朝バス停で出会った一人の女性のことが思い出されます。彼女の立ち姿から職場でのありようが想像され仕事に対する情熱がその服装とたたずまいから感じられました。今日も一日仕事に励もうとする意気込み、そして時と場所を弁えた内面を輝かせる粧いに魅力を感じないではいられませんでした。
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 ローマで私は繁華街よりも庶民が息づく狭い小道に入り、パンを焼く匂い、大声を張り上げ威勢よくショッピングを楽しむ市民たちに出会うのが好きでした。休日は足繁くこのような辻を歩いたものです。生活必需品を売る店やジェラトリア(アイスクリームの店)へ行く道を前もって調べて行きますが、それを道行く人に直接尋ねるのも好きでした。人々の優しさやジョークそして人情味あふれる飛切り人懐っこい笑顔が返ってくるのです。笑顔と率直さが言葉の壁を乗り越えさせてくれ、ローマを一層好きにさせてくれました。
 道には広い道もあれば舗装された道、でこぼこ道もありましたが疲れもせず歩きまわりました。時を刻み、人々を遠くへ運んだ道、アッピア街道は外国へと通ずる可能性に富んだ道でした。商業、経済、外交、学問、芸術等々を求め、世界から人々が集まるこの都市にはそれに匹敵するだけの魅力が備わっています。私はこの都市に住みながらその魅力を肌で感じました。
 5年間、6ケ国のシスタ方と生活しながら様々な考えがあることを学びました。そして自分も尊重されてきたことを感謝のうちに思い起こします。分かち合う中で彼らが紆余曲折を乗り越え、自分の道を着実に歩んできたことを、その表情や会話から読み取ることができました。解らなければ率直に質問し、率直に助けを願うあのおおらかさを決して忘れることはできません。
 かけがえのない人生の道、「旅は道連れ、世は情け」と歌った先人たちに心を留め、世が世だからこそもっと互いに助け合い、仲良く歩めたらと、北山通りを散歩しながら思いました。
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