シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
京の和菓子  「 水無月みなづき 」
暑さのせいでしょうか、ふと、京の和菓子「みなづき」が恋しくなりました。

私どもの修道院では食事担当のシスターがいつも季節の諸行事に心を配り、それに合わせて私たちの食卓を豊かに、楽しいものにしてくれています。夕食が始まって間もなく、「みなづき」が話題に上りました。一人のシスターが「6月30日ね」と話題を続け、それをきっかけに季節ごとの食文化へと話がどんどん広がってゆきました。

京都に住んで初めてみなづきに出会った時の驚きを忘れられません。お客様が来られた時、ガラスに盛られた「みなづき」は見た目に上品で美しく、白磁の茶碗に注がれたグリーンの茶とみなづきの抑えられた味は絶妙でした。さすが京都と感心しながら味わったものです。

この「みなづき」はその昔、貴族たちが暑さを凌ごうとして氷室から氷を取り寄せ、それを口にしていたようです。しかし、庶民の手に高価な氷は届くはずもありません。それでも彼らは涼しさを求め、氷になぞらえた和菓子を作りだしました。それが「みなづき」なのだと古参のシスターが教えてくれました。

みなづきは外郎(ういろう)の上に甘く煮た小豆を盛り付けたものです。人々は三角形に切った外郎(ういろう)を氷と見立てたのです。庶民の生活を振り返って見ますと、彼らなりの楽しみ方が多々あり、知恵に満ちていて、逞しさや遊び心が伝わってくるようです。また、その昔、小豆の赤は悪魔祓い、厄除けの意味を表現していたのです。残された半年を患うことなく元気に過ごせますようにとの庶民のささやかな願いと祈りが込められているみなづきに感謝!

「みなづき」の話に夢中になっている間に、夕食の時間はほぼ終わりに近づきました。食事担当のシスター、いつもおいしい食事を感謝します。みなづきを楽しみにしています。
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紫陽花との出会い
多感な高校生の頃、紫陽花(あじさい)との出会いに何故か心がときめきました。

梅雨に入って間もない土曜日の昼下がり、友人宅に遊びに行きました。しゃれた玄関脇の中庭に無造作に咲いている紫陽花が心地良さそうに雨露に濡れています。あの風情は今も私をはっとさせるほど幻想的で、青・紫・白そしてピンクと多彩な紫陽花が陽光を浴び、幾重にも色を変えていくのです。その姿はまさに青と紫の競演とでも言えそうでした。この紫陽花が私を夢の世界へと導いてくれ、雨多い6月を好きな季節へと変えてくれたのでした。

紫陽花は好きな花のひとつではありましたが、外観の楚々とした佇まいだけを味わい、原産地やその性質・種類等の知識は皆無でした。最近読んだ紫陽花についての説明によりますと、日本の紫陽花は土壌が弱酸性であるため、青や青紫色になることが多いということ、一方、ヨーロッパなどでは雨が少なく土壌がアルカリ性のため、濃いピンクになるということです。

自分の行動範囲が広くなるにつれ、多種多様な紫陽花との出会いも多くなり、この花がますます好きになりました。この紫陽花が私に大切な一つのことを気づかせてくれました。それは、日常生活の中で案外知っているつもりで知らないこと、事物や自然、そして最も大切な人との関係さえ、充分、向き合っていなっかたということです。

「紫陽花さん、いろいろ気づかせてくれて有難う!」
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 「 お客様をお迎えする 下 」
食事を楽しんでいるみんなの顔に幸せが広がっていきます。平素使われなかった食器たちも、久しぶりにみんなに出会えて喜んでいるに違いありません。時間が経つにつれ、会話の内容も豊かになりました。故郷のこと、家族のこと、お正月やクリスマス、イースターの過ごし方その他、たくさんのことを知る機会となりました。心がオープンになり言葉の壁がなくなっていきます。心と心が触れ合い、優しさが互いの心を結びつけています。二人のお客様といろいろ分かち合えた事、時間をともに過ごせたことが何よりうれしく感じられました。

母が若いお客様に愛をもって接していたことが今も心に残っています。「年の功」とでも言うのでしょうか、お客様をもてなす母の姿には包み込むような温かさがにじみ出ていました。

かなりの時間が瞬く間に過ぎてゆきます。最後に、お客様が感謝の思いを祈りに込められ、手を合わせ微笑まれました。その瞬間、「そう、来年もまた、彼らを我が家に是非、お招きしよう」との思いがみんなの心に膨らんでいったのは言うまでもありません。

かつて、砂漠の炎天下を通り過ぎようとした旅人を呼び止め、自ら給仕してもてなすアブラハムの姿 ( 創世記18章1−8節 ) がよみがえってきます。お客様を我が家にお迎えするたびに懐かしく思い出す恵みの原風景! 

母は無言のうちに愛の多様なあり方を私たちに残してくれました。
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「 お客様をお迎えする 中 」
「お客様が来られました。」との声が玄関から聞こえてきました。

「よくいらっしゃいました。」と家族が全員、笑顔で彼らを出迎えました。もちろん、今日のお客様をお迎えする主人公は母です。いつも笑顔を絶やさない彼女の穏やかな姿が今日は一段と素敵に見えます。「寒いですね。そのままお上がりください」と語りかけています。天井に届くかと思われるほど背の高い、若いお客様をもう一人連れて来られたのです。お客様が母にその若い方を紹介しています。初めての対面とは思われない若い方と母との会話がほほえましく、こちらまで引き込まれそうです。彼はまだ日本語もたどたどしいのですが、目と目を合わせ母と話しながら頷いています。

座敷に通された外国のお客様は次第にリラックスしてきたようです。お茶をお出しし、頃合を見て食事に入ります。さあ、私たち女性の出番です。客間の会話の進行具合を見ながら彩りよくテーブルに料理を並べました。今日はいつもと違い、お客様に食事の祝福をお願いしました。「最後の晩餐」を髣髴とさせる光景です。グラスにワインが注がれ、威勢の良い「乾杯」の音頭がとられました。楽しい食事の始まり……!

私たちとの触れ合いを通して、お客様は故郷のご家族のことを思い出しているかもわかりません。彼らには我が家の料理が珍しいようで、食べ方や料理の由来等への質問が多々ありました。兄弟たちがそれについて説明しています。英語が飛び交い、相互に言葉の不足を補い合うのですが、チンプンカンプンの時もあって、爆笑の連続でした。「お客さまとの会話を大切に」と心を配っている母の幸せな様子も視野に入ってきます。 料理人の私たちにも質問が向けられ、我が家の料理の秘伝を披露し、いっそう親密さも増してきました。
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一枚の絵葉書との出会い 「聖金曜日」
ローマのノートルダム教育修道女会総本部におりました頃のことです。食堂のサイドテーブルには常時、各国からシスター方がお土産に持参したおいしいチョコレートやキャンディそしてナッツ類が置かれていました。

毎日11時ごろ、シスター方とおやつを楽しんで、ちょうど会話が盛り上がってきた時のことです。 何気なく一枚の地味な絵葉書が目に留まり、それを手にしました。その後もおやつを楽しみながら、その絵ハガキを読んではそっとテーブルに戻し、数回それを繰り返しました。しかし、日本に戻る日が近づくにつれ、戻した絵葉書のことが気になり、もう一度それを手にしました。今回はその詩と本当に向き合ったのでした。とても大切なメッセージが私に語りかけているのに気付きました。私自身の人生がこの詩に凝縮されているように思われたのです。

この英語の詩の絵葉書を原文のまま皆様と分かち合いたいと思います。「詩」の味わいはその人の生い立ちや人生経験によっても多種多様だと思うからです。また、文化的背景によっても異なった受け止め方ができ、詩の意味、内容をその人独自のセンスで理解することが出来ると思います。

  
                Weaver God,
               We come to you,
           Or more the truthーーyou come to us,
            Disconnected and out of sorts.
            Out of our pain, you weave joy,-
         Out of our Good Fridays, you weave Easters,ー
        Out of strands, you weave a fabric, a tapestry,-   
            Out of parts, you weave a whole.

               By Janet Schaffran,CDP
                and Pat kosak,CSJ        
               

私たちの魂の師イエスは自らこの聖金曜日を生き、神のご意思を果たされました。人生を振り返れば誰しも、たくさんの聖金曜日を体験します。この聖金曜日を忍耐・勇気・信頼・希望をもって生きぬいたものだけが、人生の復活の喜びや幸せを深く味わうことができるのでしょう。
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