シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
一枚の絵葉書との出会い 「聖金曜日」
ローマのノートルダム教育修道女会総本部におりました頃のことです。食堂のサイドテーブルには常時、各国からシスター方がお土産に持参したおいしいチョコレートやキャンディそしてナッツ類が置かれていました。

毎日11時ごろ、シスター方とおやつを楽しんで、ちょうど会話が盛り上がってきた時のことです。 何気なく一枚の地味な絵葉書が目に留まり、それを手にしました。その後もおやつを楽しみながら、その絵ハガキを読んではそっとテーブルに戻し、数回それを繰り返しました。しかし、日本に戻る日が近づくにつれ、戻した絵葉書のことが気になり、もう一度それを手にしました。今回はその詩と本当に向き合ったのでした。とても大切なメッセージが私に語りかけているのに気付きました。私自身の人生がこの詩に凝縮されているように思われたのです。

この英語の詩の絵葉書を原文のまま皆様と分かち合いたいと思います。「詩」の味わいはその人の生い立ちや人生経験によっても多種多様だと思うからです。また、文化的背景によっても異なった受け止め方ができ、詩の意味、内容をその人独自のセンスで理解することが出来ると思います。

  
                Weaver God,
               We come to you,
           Or more the truthーーyou come to us,
            Disconnected and out of sorts.
            Out of our pain, you weave joy,-
         Out of our Good Fridays, you weave Easters,ー
        Out of strands, you weave a fabric, a tapestry,-   
            Out of parts, you weave a whole.

               By Janet Schaffran,CDP
                and Pat kosak,CSJ        
               

私たちの魂の師イエスは自らこの聖金曜日を生き、神のご意思を果たされました。人生を振り返れば誰しも、たくさんの聖金曜日を体験します。この聖金曜日を忍耐・勇気・信頼・希望をもって生きぬいたものだけが、人生の復活の喜びや幸せを深く味わうことができるのでしょう。
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お客様をお迎えする 上
母の存命中、彼女の誕生日(1月2日)にお客さまをお招きすることがたびたびありました。毎年、年末年始を母の家で過ごそうと、みんなが集まってきます。母はお客様をお迎えするのが大変好きでした。私たちは平素、母がお世話になった方々への感謝を込め、彼らを我が家にお招きする機会を大切にしてきました。

母は、特に親しい外国の方をお招きすることを楽しみにしていたものです。「異国の地で年末年始を迎えることは彼らにとって孤独と郷愁を強く感じるとき」と母は時々私たちに話してくれました。今年も母から何時、「お客様をお招きする」提案があるかと心待ちにしたものです。

お客様ご招待の話題が食卓に上れば、すぐにそれを実行に移します。彼らの都合を聞き、母の誕生日にあわせて、この日を楽しく迎える計画を立てる時はひとしお心が浮き立ちます。私たち自身は母を喜ばせること、そして母自身もお客様をおもてなしすることをとても楽しみにしているようでした。当日車で、お客様をお迎えにあがったことなども今は懐かしい思い出となっています。

当日の朝早くから掃除、料理その他それぞれが役割を分担し、スムーズに準備が進められるよう心を配りました。特に、料理は大変ですが、それも楽しみの一つで、各自の腕の見せ所でもあります。互いに希望のメニューを出し合い、一連の素敵なメニューができあがりました。母に当日のメニューを伝えると大満足のようです。わたしたちは手順よく準備にとりかかったものです。

京都の大料理人で芸術活動の大家であった北大路魯山人(1883−1959)は「器は料理の着物」という言葉を私たちに遺しました。私たちもこの日ばかりは料理と器の両方をひきたたせる演出を試みたいと欲張ります。平素は高価な器を使う機会はほとんどありませんが、この日だけは心ゆくまで好みの食器を選び、料理に似合った器に盛り付けるのです。女性にとってこのような機会は格別で、しかも外国のお客様にお料理と食器の両方を味わっていただくのです。
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お客様をお送りする
最近、特に、家族や知人との別れがつらくなってきているのを感じます。一期一会の意味が心に染みる年齢となってきたためでしょうか。互いの安寧を祈らずにはおられません。

別れの時はいつでも、母が玄関先まで見送ってくれたことどもが走馬灯のように私の脳裏をよぎります。母は私たちが休暇を終え、帰路につく時は、私たちの好物を沢山準備してくれるのでした。それから私たちを玄関先まで送り出すのです。彼女は愛を込め、私たちが見えなくなるまで手を振り、祝福の仕草をするのです。その母の祝福を受け、たくさんの愛と希望そして勇気を携え帰路につきました。 

別れの少し前、私たちは家庭祭壇で互いの平和と健康を祈り、数日間滞在したことへの感謝を両親と兄弟姉妹に伝えます。母の温かい抱擁そのものが宝でした。見えなくなるまで手を振り見送ってくれた母の姿が今も忘れられません。彼女の祝福は何物にも代えがたい贈物でした。今も右手で私たちのために十字を切り笑顔で送り出してくれた母が恋しくなります。不思議なことに私たち兄弟姉妹は母を見倣い同じ仕草を互いの分かれに際しやっているのです。

修道院でお客様や卒業生、そして知人をお送りする時はいつでも、母がしたと同じように心から彼、彼女のために「無事に家路に着けますように」との祈りを込め、祝福の十字を切りお送りします。

聖書には「平和」についての箇所が無数に記されています。人類が切実に平和を希求する「今・この時」こそ、イエスの「安かれ」をいつも発信しなければと思います。
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ゆく年・くる年
今年も残り少なくなり、カウントダウン………。
床の間にはお正月花が既に活けられています。

お正月料理を作り終え、ようやくみんなが落ち着いた頃、家族全員が「年越しそば」を楽しみます。大家族の我が家では食卓も横長に2つ並べ、孫たちも嬉しそうに食卓の座に加わります。家族全員が少しばかり興奮の渦の中にあります。今年のおそばの味は云々、家族の近況報告等々、会話が弾みます。和気あいあいとした「年に一度の家族大集合!」なのですから。幸せが家族全員にみなぎっているように感じられます。食事も終わり、NHK紅白歌合戦終了後、最寄の寺から除夜の鐘の音が聞こえてきます。私たち家族の聖なる時間がやって来ました。

       感謝と微笑みをもって2018年を振り返り
         希望と信頼のうちに2019年を迎え
            神に賛美を捧げるのです。

この瞬間は家族の誰もが一瞬緊張し、正座して家庭祭壇を囲みます。神のみ子イエスの誕生を祝ってまもない今宵、新しい年を厳粛に迎える心の準備のための聖なる時間なのです。これは我が家の伝統で両親存命の頃から現在に及んでいます。この「聖時間」は家族の誰にとっても懐かしく心を一致させ、家族を和合させる貴重な時間であることを感謝のうちに意識しています。そして今もってこの伝統を誠実に守っています。

  聖書朗読……ヨハネ福音書1章1節−14節 「はじめに言があった。言は神であった。         この言は神とともにあった………………。 
  黙想…………一年を振り返り祈る。→神への感謝と決意を新たにする。
  聖歌…………典礼聖歌 3 1−7 
        新しい歌を主にうたえ、新しい歌を主にうたえ。
       新しい歌を歌おう。さあみ名を祝し、………
   ★家族の全員が一言、祈りや感謝を分かち合うのです。
そして「おめでとうございます」と新年の挨拶が続きます。

大晦日は我が家の愛を確認する尊い時間で誰もがこれに親しんできました。これまでの一年を神に感謝し、新しい年を理想と夢を掲げながら恭しく迎える私たちの神への礼拝と賛美です。2019年に神の栄光と賛美を! Let’s Go!
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叱り方と愛のぬくもり
弟が神妙な顔つきで母の前に正座しています。

母は温厚な人で、大声を出したり、感情をむき出しにすることは決してありませんでした。その彼女が、今日は幼い弟に向かって何か神妙な面持ちで話をしています。何事だろうと思って私はその二人に近づきました。度を越したいたずらをしたらしいのです。その場に私も加わり、彼の悪さをいくつか挙げ、幼い弟を窮地に追いやってしまいました。弁明することも出来ず弟は頭を下げ、しょげきっていました。しばらくして彼は母の許しを得ることができました。いつもの元気良さを取り戻し、嬉しそうに友達のもとに走っていきました。母から叱られたことなど微塵も感じさせない天真爛漫な元気のいい弟に戻っていたのです。

私と母だけがその部屋に残りました。一息ついたその時、母は私に向かって話しかけました。「私が叱っているときは、あなたが彼をサポートしてほしかったの。小さい弟が私に怒られ泣いているのに、あなたが追いうちをかけたら、彼は弁明も出来ないでしょ?あなたがそばで彼を庇ってほしかったの。」と言いました。今、それを思いますと本当に自分の至らなさが恥ずかしくなります。姉として幼い彼に心から寄り添うことができなかったのですから。

長い人生の坂道を登りながら、その母の温かさと思慮深さに圧倒されます。母の叱り方やちょっとしたしぐさには愛のぬくもり、そして安らぎが見え隠れしていました。

カトリック教会では11月を死者の月と定めています。すでに旅立って逝った両親を偲び、誰にでも温かさと尊敬をもって接するという遺訓を大切にしたいと心に固く誓いました。
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