シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
アスラン
アスラン
  これは、C.S.ルイス(1898-1963、大学教授、評論家、作家)の空想児童文学「ナルニア国ものがたり」、第1巻「ライオンと魔女」に登場するライオンの名前です。
  先日、頭痛がひどいので、近所のお医者さまに電話し、休診の時間に、そして、約束の時間よりずっと早くついたのに、こころよく診ていただきました。私が、「左耳のうしろがズキンズキンと痛む」と、電話でいった言葉をくりかえすと、先生はすぐに、「それは寝かたが悪いんです。」といって、よい寝かた、座りかた、歩きかたを教えてくださり、究極の健康な姿勢だと言って、お相撲さんの四股を踏む姿までやって見せてくださいました。寝かたがよくなって私の頭痛はすっかりおさまったのです。
  その夜、シスターたちに「この先生を厳しいという人もいるけれど、心からの親切さが伝わってくるね」と、やや年をとられた威厳のあるお顔を思いだしながら話しているとき、むかし読んだアスランの顔がうかんできて、「ライオンと魔女」を読み返さずにはいられませんでした。
  本の冒頭に、ルイスは名づけ児のルーシィ・パンフィールドへ「ぼくはこのお話を君のために書いた。…この本が印刷され、製本されるころには君はもっと成長していることだろう。でもいつか君はさらに年を重ね、またおとぎ話を読むようになるだろう。」と書いています。 ルイスはおとぎ話の形で、キリストの救いを書いたのです。ルイスが言っているように、年を重ねた私の心にも、キリストの深い思いが痛いほど伝わってきました。頭痛が、お医者さま、アスラン、ルイス、キリストへとつながった不思議を思うのです。
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名前
名 前
 私は毎土曜日に、高野教会でキリスト教入門講座をしています。ひとりの小学1年生の男の子もお母さんといっしょに来て、クラスはいつも楽しい笑いにつつまれ、男の子の、むじゃきで素直な一言が、私たちを感動させ、より深い気づきへと導いてくれたりするのです。
  先日、彼はマイクのついたマクドナルドの赤帽をかぶってやってきたので、私はもってきた短い棒状のお菓子と、参加者の一人がもってきた小さな六角形のビスケットを配ってもらうことにしましました。自分の前におかれた懐紙にようじんぶかくお菓子をくばりながら、彼は「ハンバーガーとフライドポテトだよ」と言いました。彼は私たちにじゃんけんをさせて、勝った順から、お菓子の山を1つずつ取らせ、また、私たちの胸にティシュペーパーのナプキンまでつけてくれたので、私たちはすっかりマクドナルドのお店にいる気分になりました。そして、「店長さん、上手に配れたね。」「店長さん、すごいね。」と、ほめていました。すると、彼はふと、「その名前で呼ばないで。いつもの名前で呼んで。」と、いったのです。
  パパとママが、心をこめて名づけ、いつも呼んでくれる名前が、自分自身だと彼は直感しているのでしょう。イエスの復活の朝はやく、お墓についたマリア・マグダレナは、イエスから自分の名前で呼ばれて初めて、復活なさったイエスに気づくことができました。思えば、私たちは一人ひとりを慈しんでくださる神から自分の名前で呼ばれながら、自分自身へと変えられていっているのではないでしょうか。
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希望
希 望
  昨日、歯医者さんに行くと、乳母車の赤ちゃんが待合室にいて、じっと私をみつめました。「10か月なんです」と、若いお母さんがやさしく微笑みながら言いました。
  診察台によこになって治療をうけながら、歯科医院には不似合いな赤ちゃんの存在が私を微笑ませていました。そして、赤ちゃんのうつくしく澄んだ目が、3月にロサンジェルスから大阪までの飛行機で隣りあわせた一人の女子高校生を思いださせたのでした。
  彼女はアメリカでの高校生ダンス・コンクールで、6年連続の優勝をとげて帰る大阪の商業高校、約30名のグループのメンバーでした。私のかたいペットボトルの栓をあけてくれるなど、心遣いをしてくれながら、とぎれとぎれに自分のことを話してくれました。外国の高校生はプロポーションがきれいだと思ったこと、構成も振り付けも音楽も自分たちでやったこと、オーディオ担当の仲間のすばらしい技術、高3になるのでクラブのメンバーを辞める寂しさ、将来の夢。私は彼女の話を聞きながら、協力して全力をつくす人たちの美しさ、全ての体験は無駄にはならないこと、「他の人への最善の贈り物はよい思い出だ」というフランスの哲学者マルセルの言葉、心に抱いている望みはやがてよい形で実現してゆくこと、などを話したのでした。
  車いすの私がこの高校生たちのそばを通るとき、彼女は明るくかがやく目で私に挨拶を送ってくれました。私は彼女といっしょに将来への希望を共有しているように感じたのでした。
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愛は一つ
愛は一つ
  3月20日、乗りつぎの飛行機をのがしてしまった私は、東海岸の州にあるシャーロット空港まわりでセントルイスへ行くことになり、別のゲートにうつり、搭乗までさらに5時間まつことになりました。人のまばらな新しいゲートの私のまえの椅子に、中国人らしい中年の女性がいて、私の国籍をききたそうです。「Japanese」というと、すこし残念そうでしたが、人差し指と親指のあいだをせまくして「English, little」といいながらも、自分のとなりの椅子の方が座りやすいから移るほうがよいとわからせてくれました。
  親せきや友人との会話をスマートホーンでたのしんでいた彼女が私に、「夕食をたべたか」とたずねます。まだだというと、「どこでたべるか」とたずねます。私は「ここで」といいました。「チキンをたべますか」「ヌードゥルはどうですか」というので、私は「いいですね」答えました。どこかへ行った彼女は、帰ってきて、自分のスーツケースを私の隣の空いた椅子にねかせ、紙ナプキンをしき、チキンとヌードゥルにナイフとフォークをそえ、飲みものもおきました。自分は満腹だからと、またスマートホーンでの会話にもどった彼女のそばで、私は彼女の心づくしの夕食をおいしくいただき、車いすへのチップのための両替までしてもらったのです。
  「あなたは私のお母さんのようです」と私がいうと、「あなたが私のお母さんです」と彼女は答えました。愛には仕切りはない。愛は一つなのだと私は悟らせていただいたのです。
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「何を読んでいるのですか」
「何を読んでいるのですか」
  今年、3月20日、私はロサンジェルス空港にいました。ミーテイングのあるセントルイスへの乗りつぎ便への搭乗までには、5時間の待ち時間がありました。少しでも英語に慣れておこうと、私が英文の会憲を読んでいたときに、「何を読んでいるのですか」と声をかけられたのです。それは控えめで美しい日本語でした。驚いたことに声の主は外国の方で、お父さまが日本の大学で教えておられたので、5歳から13歳まで日本で過ごされたとのことでした。
  「最近、瞑想を実践しようとしている」と打ち明けられる、はじめて会ったこの男性の方と、どのぐらいの時間、どのような話をしたのか、はっきりとは覚えてはいないのですが、互いに心をこめて聴き、語りあった、ふしぎな、心にのこる尊い時間でした。講演や著作をとおして、活動しておられるFr. Richard Rohr を最後に紹介できたのはうれしいことでした。
  「世の終わりまでいつも共にいる」と言われた主キリストに信頼して、私は車いすでの一人旅をしていたのですが、彼の問いは私に、使徒言行録(8:26-39)の聖フィリッポとエチオピアの高官との対話を思いおこさせました。日本を大切に思って下さっている彼の幸せを祈っています。
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