シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
こげたご飯
小学3年生頃のことです。母が留守の時、何か手伝いをしたいと思い、ご飯を炊くことにしました。薪の火で炊くのです。薪の火でご飯を炊くのはむつかしいのですがなんとか炊けそうでした。火がついたのを見て安心した私は遊びに行きました。
ところが遊びに夢中になってご飯のことはすっかり忘れてしまいました。
思い出して帰るとちょうど母が戻ったところでした。
お釜のふたを取るとご飯は真黒に焦げ一番上まで、炭のように真黒に固まっていました。「ごめん」と泣きそうな声で言いました、
母は「せっかくしてくれたのにね」と言い、それ以上はなにも言いませんでした。
戦後まもない頃で食料も乏しい頃でした。

手伝いたい私の気持ちだけを受け止めてくれた優しい母を思い出すできごとです。
この母は今年の2月20日に98歳で亡くなりました。初めてのお盆をむかえます。
シスターメリー・パトリシア久野 : comments (x) : trackback (x)
心から
心から
  昼の暑さがまだのこる夏の夕方、私は急ぎの手紙をだしにポストへ行こうとしていました。ちょうど道をまがろうとしたとき、私の前を横切って、子供とその母親らしい女性がつづいて自転車を走らせて通り過ぎました。後に「お先に」という女性の小さな声が私の耳にのこり、女性の心遣いがやさしく伝わってくるように感じたのです。
  修道院へ帰るみちで、ご近所のご夫妻がでかけるところに出会いました。見かけるだけで、まだいちども言葉を交わしたことのない方々でしたが、目が合って、お互いに「毎日、暑いですね。」「お大事になさってくださいね」と、「暑さ」のおかげで、思いがけなく、言葉をかわすことができ、心からいたわりあえたことを、ほんとうに嬉しく思いました。
  この2つのささやかな出会いは、自分では目だけしか動かすことができなかった詩人、「瞬きの詩人」とよばれた水野源三の「有難う」という題の「物が言えない私は/ 有難うのかわりにほほえむ/ 朝から何回も微笑む/ 苦しいときにも悲しいときにも/ 心からほほえむ」という詩と、写真でみた彼の美しく澄んだ目と、さわやかな微笑みが心に浮かんできました。心の大切さを学んだ夏の1日でした。
シスタールース森 : comments (x) : trackback (x)
骨折
骨 折
  何か月かまえに、腰椎を圧迫骨折して、今、胸から腹部をおおう大きなコルセットをしています。日常の生活がいろいろと不自由なのですが、その1つは、道を歩くとき、体が前に進まないように感じることです。
  先日も、修道院に帰るみちすがら、体が前に進まないことをもどかしく感じていたとき、ふと、日ごろ親しい4歳半の男の子のことを思い出しました。つい最近、彼がママといっしょに訪ねてくれたとき、水泳教室で身につけようとしている泳ぎのフォームをやってみせてくれたのです。手はぜんぶの指をしっかりくっつけ、肘をのばし、足はひざを曲げないで、つま先までまっすぐにのばして、交互にうごかすこと。私も肘をのばし、指をつけて、空気を後ろにかき分けるようにすれば、体は前にすすむのではないかと思いついて、やってみると、手の平にかすかに風のふれる感覚があって、確かに、わずかながら体は前にすすむようです。
  「蝶々の羽ばたきが台風の進路を変えるという物理学の理論」があるそうで、対人地雷廃絶の「オタワ条約(1997年)」のキャンペーンが「バタフライ・キャンペーン」と言ったことを思いだしました。かすかな力ながらも結集すれば、よい流れを作ることができるという、このキャンペーンの、人間に対する信頼と希望が、私のこころをはずませてくれました。
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