シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
感謝
くも膜下出血を患ったと聞くと多くの人が、「それくらいでよかったですね」と言います。その病では30%の人は死亡。30%の人には重篤な後遺症が残るそうです。私も、立つことなど思いもよらない事でした。そういう中で思いました。「当り前と思っていたことは実は当り前では無かった」と。そう思って目の前の食事を見て気付きました。「このわかめを採るため、誰かが海に入って波しぶきをうけたのだ。このミルクの為誰かが牛の世話をしたのだ。私は牛の為、草一本採っていないのに。そのように思っていくと、多くの人のご苦労の上に自分の生が支えられていること。またそういうことに心をとめず。感謝もしてこなかった自分の姿が見え始めました。
これからは見えない事の裏に人のご苦労とご親切を見、感謝の内に日々過ごしたいと思うようになりました。
今からでも遅くない。気付かせていただいた時がスタートだと思いました。感謝します。
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カラスウリ
カラスウリ
  確か、8月24日の早朝だったと思いますが、「今日の花はカラスウリ、花言葉は…」というラジオ放送を耳にしました。1,2年まえ、京都御苑の南門ちかくの生垣で、1cmほどの白い5弁の先に、10cmもの豪華なレース飾りを生垣にひろげて咲いている美しいカラスウリの花を見たことを思いだして、そろそろ赤い実をつける頃ではないかと、外出の帰りに御苑に寄ってみましたが、葉が茂っているだけでした。
  「カラスが好んで食べるので、この名がついたが、カラスがこの実を食べているところを、誰も見たことがない」というアナウンサーの言葉に、思わず笑ってしまいました。でも、確かに、カラスの黒とカラスウリの実の赤い色は、対照的で鮮やかな取り合わせだと感心したのでした。
  花言葉は確か、「手紙」と関係があるようでしたが、はっきり聞きとれなかったので、左京図書館へ行って調べてみました。花言葉は「玉づさ(結び文)」。「玉」は美称、「づさ」は「あづさ(キササゲの木)」。カラスウリの種が「結び文」の形をしており、昔の人が手紙をキササゲの枝に結んで相手にとどけ、また、この木が古くは版木として使われたことによると分かりました。
  子どものころ私は、この種を「一寸法師」を幸せにした「打ちでの小づち」の形だとおもっていました。そして、今、私が受け、また、贈る「玉づさ」は、「よき便り(イエス様の福音)」だと思ったのです。
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豪雨
「こんな雨を見るとたまらない。神戸は急な坂道が多いでしょう」と激しく降る雨を見ながらその80代の女性は話されました。
傾斜が急な坂での豪雨、ほとんど垂直に滝のように流れる水の中を歩きあぐねている時、その流れの中を必死に歩いている小学1、2年生くらいの女の子に気付いたそうです。その子を自分の方に引き寄せようと傘を差し伸べたところその子は両手でしっかりと握ったそうです。良かったと思ったのもつかの間、急な坂を流れる水の中で傘を握っていることができず、その子は、流されて行ったそうです。その水の流れはまっすぐ海に入っていたそうです。

50年以上も前のことで、その頃、神戸で激しい雨が降ったことを後で知りました。
近年、今までにない豪雨とか多くの災害が報道されます。

いずれ天気は回復し、報道記事を見た私達の記憶も薄れますが、災害に遭われた方々のことが気になります。
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母の祝福
母の祝福
シスタージョアンナ徐

年老いた母が背をかがめ炊飯器の前に立っています。

 ふと、平素とは違った雰囲気を母の背に感じました。娘の私が久方ぶりに家族を訪問したというので、母は料理の腕を振るっています。母はしゃもじを右手に何かしています。後方からそのしぐさを注意深く見ていた私の目から涙があふれました。母は炊飯器に向かって十字を切っていたのです。祈る姿は神々しく、この台所兼食堂が聖なる場になっているのを感じました。瞬間、言いようのない幸せを感じたのです。これほどまでに家族のために祈り続け、温かさを感じさせてくれた母! 深い愛と誇りを感じました。神の思いを無言のうちに家族に発信していた彼女は、今も家族にとっては人生の師であり、笑みをたたえた母が恋しく思われます。

 いつもそうしてくれていたのでしたが、私たちはそれに気づいていませんでした。母のこの尊いしぐさは多くを語るよりも愛の深さを感じさせてくれ、今も私たちはそれを継承しています。ですから食事はとても大切で、幸せを分かち合う時間でもあります。

母は品位をもって人として生きることの大切さを彼女の生き方を通して教えてくれました。彼女のこの何気ない行為から教えられたことは何と多かったことでしょう。

 昔とは違い、家族がともに食卓に向かう時間はなかなか取れませんが、ともに食事のテーブルについた時は先ず、神に感謝を捧げ、食事とともに一日を始めます。修道院でも炊きたてのご飯を前に炊飯器に向かう時はいつでも、母がしたように私も十字を切り、シスター方の幸せと健康を祈ります。
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すずめ
4月から腰椎骨折で3月ほど入院しました。一昨年のくも幕下出血による1年近い入院生活に続くもので心も萎えそうになりながら、毎日病室の窓辺の桟に来る2,3羽のすずめを眺めていました。そのうち聖書の中で語られているイエスさまの次のお言葉が聞こえてくるような気がしました。

「2羽の雀が1アサリオンで売られているではないか。だがその1羽さえ父(神)のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなた方の髪の毛までも一本残らず数えられている。だから恐れるな」。(マタイ福音書10章、29節)
同じような内容が6章でも語られ、ています。神様はいろいろなものを通してご自分の思いを私たちに伝えてくださると感じました。
イエスさまのメッセージを伝えてくれたかわいい雀たちでした。
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