シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
四旬節
四旬節
  教会は今、復活祭をむかえる前に、6週間つづく四旬節のあいだ、イエス様のご苦難とご死去をしのびます。ずっと以前、私はアーンプライヤーという、カナダの古い町で1年間すごしましたが、その年の四旬節に、教会で初めて出合った1人の老婦人から、ある日曜日の午後のお茶に招待されました。
  そのお宅の門から玄関へと向かうとき、老婦人の不自由な歩みに気づいた私に、彼女がほほ笑みながら言った「I can’t complain. I had a ball.( 私は不平を言えません。楽しい人生だったのだから。)」という言葉が、私の心に残りました。その午後、庭の景色をながめながら、気持ちよく暖められた居間で、お茶と手作りのクッキーに、楽しい語らいで、彼女は日本を遠く離れてくらす私をなぐさめてくれたのです。
  この1月に大きな手術をうけて、長い療養が予想されて不安な気持ちでいるときに、彼女のこの言葉と心遣いをおもいだしました。私たちのために苦しみを、その身に負われたイエス様を思いながら、この四旬節を意味あるものにしたいと思います。
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雪柳に魅せられて
雪柳が咲く頃はいつでも、小学三年生の時の記憶が感謝のうちに蘇ってきます。

新しい季節を迎えるごとに記憶の宝石箱からたくさんの出来事がこぼれ落ちてくるのを感じ幸せが広がってきます。それだけ年を重ねたせいでしょうか。

雪柳にまつわる出来事を分かち合いましょう。それは私の初聖体についてです。準備に余念のない姉と私。今も母親のように兄弟妹を温かく包んでくれる姉は私の人生と深く関わってくれています。初聖体(  First Communion )は カトリック教徒として貴重な出来事の一つです。 生まれて初めて聖体を拝領する私を励まし、教理その他、準備の段階から長期にわたって姉が沢山のことを教えてくれました。 彼女は私たち兄弟妹の相談相手であり、励ましと勇気そして祈りを絶え間なく送ってくれる魂の「師」でもあります。

初聖体当日、後方に大きなリボンのある純白のワンピースに身を包んだ私は、もう一人の友人と席に着きました。後でわかったのですが雪柳の花冠をドイツ人の神父様が作ってくださり、戦後の物資に事欠く時期でしたけれども高価なチュールのベールもプレゼントしてくださいました。 このベールを被り、その上に雪柳の花冠をつけた私は姫君! 今も当日の喜びが記憶から薄れることなく年を重ねるにつれ強烈な感動をもって私の魂にせまってきます。

聖なるミサのクライマックスである聖体拝領が始まります。両手を合わせ緊張しながらイエスをいただき席に戻る私を素敵な新婚の若奥様が「まるでイエスの花嫁さん」とささやいているのを耳にしました。 また、ミサが終了し、信者の皆さんが「おめでとう」の言葉を連発するのを聴きました。 この出来事が小さな少女の魂に刻まれ、生涯、「私はイエスの花嫁さん」と決心する大切な動機づけを与えてくれたのでした。私にとって「イエスの花嫁さん」と言う言葉は青春を豊かにし、往く道を照らす灯となりました。 言葉はそれほどまでに人を揺り動かす大きなエネルギーとなるのを感じ、ひと言の意味の重さと責任を感じます。今も雪柳はイエスと私を結びつける大切な聖なる花として位置つけられています。

自分が今あるのは、愛する家族の絆と優しさ、修道家族そして信徒の皆さんの励ましです。

イエスと雪柳に乾杯!                
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春の訪れ
 雪国の北陸に育った私は冬が大好きです。
それと同時に春の訪れを待ちわびていた幼い頃が懐かしく思い出されます。

 3月ともなれば大地は長い冬の眠りからようやく目覚め、春が近いと告げてくれます。大地の変化をいろいろな形で子供たちに教えてくれる3月!

 雪解けの3月下旬、まだ小学生だった私は授業を終え家路につく道すがら、道草をして色々な雪景色を見るのが楽しみでした。特に、いつもの道を通らず、遠まわりをするのです。数人の友達とその方法を比べあうのも楽しみの一つでした。ある時、田んぼの真ん中を歩きながら、ところどころに雪解けの風景を見つけたときは本当にうれしいものでした。12月下旬〜3月下旬まで土を見ないのですから。

また、私たちは田んぼの真ん中で太陽を思いっきり真正面から受け、十字形に寝そべったりしました。好きなだけ大きな理想の家を作ったりし、ままごとが始まります。想像力を駆使しての自慢の家を友達に披露するのです。いつしか雪焼けで真っ黒になりました。

 ある時は、雪の下からのぞかせる大地のぬくもり、少しずつ黒々とした土の中から暖かい湯気のようなものが立ち上がってくるのを見ました。「今度は私たちが大地をあたためるのよ」と語っているように思えました。

 まだ汚染されていない大地は芹(せり)やタニシが生息するのどかな田園風景を私たちに与えてくれました。本当に楽しい素朴な子供時代だったと思います。童謡はそのまま生活の一部のようでした。雪の下から黒々した大地が春の到来を告げるのです。3月下旬は大地が春めきます。春に期待が膨らむ今日この頃「春よ、来い、早く来い」と口ずさむ自分に微笑みかけました。

 中世の大詩人アシジの聖フランシスコは「太陽の賛歌」の中で自然をわが兄弟姉妹と呼びかけました。地球の汚染で危機にさらされている自然と共存し、尊敬することの大切さをローマ教皇フランシスコは回勅「ラウダート・シー」の中で訴えられます。全人類の共通財産である地球に聴き、自然を大切に保ちたいものです。
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