シスターの散歩道

このブログはノートルダム修道女会のシスターが日々の気付きを綴るブログです。
言葉その2
その方は社会の第一線で長年活躍した方でしたが病を得、今は歩くのもままならない状態でした。「子供はいない。妻は脳梗塞で意識が戻らないまま6年以上入院生活をしている」と話されました。言葉の端々にお二人の若かりし頃の純な愛を感じました。今は何の反応もない奥さんを月に一度尋ねるのがその方の支えになっているように感じました。
「妻が自分と結婚したことをどう思っているか知りたい」とおっしゃいましたのであなたの方から「あなたと結婚して幸せだった」とおっしゃたらどうですかと勧めました。「耳も聞こえないし何の反応もないので、通じないでしょう」とおっしゃいましたが。聴覚は最後まで働くと聞いたことを思い出し、尚も勧めました。
「病室で二人だけになる機会が無い。」「本当に通じるか確信が無い」。などでなかなか言えないようでしたが5カ月ほどたったころ「やっと言えました。通じたかどうかより、思いがけず私の心が喜びでいっぱいになり涙がこぼれました。」と晴々とした表情でおっしゃいました。

感謝や、愛情の気持ちを口にすると、まず、それを口にした当人が幸せを感じるようです。

「口の言葉が結ぶ実にょって人は善いものを享受する」。旧約聖書箴言13章2節。より。



それからは、毎回そのように言うようになったそうです。
シスターメリー・パトリシア久野 : comments (x) : trackback (x)
弁論大会
ずいぶん昔のことになりますが、当時、私が通っていた中学校では弁論大会が流行していました。

恥ずかしがり屋の私は何とかして、それを克服したいとの切実な思いを持っていました。それから解放され、人の前で自由になりたいとの思いでしたが、家族や先生にも言えませんでした。それを克服しなければとの思いは次第に強くなり、自分なりにいくつかの方法を考え出しました。具体的に、人前で朗読すること、英語の暗唱大会や弁論大会の機会を利用したり、クラスの中で、自分の思いを率直に表現するなどといった努力を重ねました。

新しい環境に慣れるに従い、いよいよ行動を起こさなければと自分に言い聞かせたものです。先ずは、公衆の面前に立つことを思いつきました。ちょうど私たちの中学校の掲示板に弁論大会の案内が掲示されました。弁論大会の出場条件として原稿を提出するという難関を突破しなければなりませんでした。弁論大会当日に話す原稿を提出し、それに合格した者だけが、講堂の壇上に立つことができ、弁士として自分の思いを述べることができるのです。毎日遅くまで寝床の中で、構想を練りました。ようやく「余暇の善用」とタイトルを決め、原稿を書き始めました。まるでアナウンサーにでもなった心地で原稿を書いたものです。 原稿を提出し、合否を待ちました。 家族の誰かに知らせるとか相談を持ちかけるでもなく、恥ずかしさを押しての単独行為に出たのです。 中学一年生の私は小さな胸を痛め、今日か明日かと合格通知を手にする機会を待ちました。結果は合格! やったあ! 一人で飛び上がりました。 

早速、練習に取り掛かりその日を迎えました。手に汗する思いでした。当日、私は中学三年生の生徒会会長の弁士ぶりに圧倒されました。彼が強調した赤十字創設者アンリ=デュナン(1828-1910)の生き方や在り方に感動したものです。青春の門口に立ち、正義感にあふれていた当時の若者たち! 人類愛の崇高さを物語った時の先輩の弁士振りは本当に圧巻でした。演台を思いっきり数回たたくのです。 本当に感動しました。 私もここぞと思うところを決め、演台を一度だけたたきました。その時を思い出すごとに可笑しさがこみ上げてきます。

新学年度をスタートした学生に出会うごとに、「ガンバレ」とエールを送りたくなります。
シスタージョアンナ徐 : comments (x) : trackback (x)
届いた1通のメール
復活祭も2週目を迎えました。 つい先日、弟から1通のメールを受信しました。

Happy Easter ! ( 主のご復活、おめでとうございます ) の挨拶でした。

私たち家族は毎年、両親や兄弟姉妹へのクリスマス・新年・復活祭の挨拶を欠かすことなく交わしてきました。 両親はこれを家訓として私たちに伝えました。これも家族の絆が保たれるひとつの要因であったかと思われてなりません。 もし、この挨拶が届かなければ、「みんな神の中で生活しているのだろうか、あるいは、彼に、彼女に何かあったのだろうか」と心配するのです。 この伝統は私たち家族の間で今もって綿綿と引き継がれています。 

話しは戻りますが、Happy Easterの メールの中で弟は聖金曜日に教会で体験した感動を分かち合ってくれました。その体験を感動できる彼の感性をうれしく思い、イースターの大きな贈り物として感謝しました。

「聖金曜日、十字架崇拝の時に、ある外国の夫婦がいっしょに十字架に
手を添えて頭を下げていました。美しい姿でした」。

これと類似した光景をこれまで、韓国・ローマ・アメリカそして日本でも数多く見て来ました。 この夫婦と心を合わせ、ともにイエスのご受難を心に刻み、イエスのみ跡を慕いながら、日々直面する大小の聖金曜日に身をかがめて臨めますよう祈りに祈りを重ねます。

自分の季節になると、冬の眠りから目覚め、たった2週間ほどの命をひとすじの気持ちで咲き続ける桜、そして今はその美しさを誇示することなく、青葉の準備にいそしむ桜木と、十字架に手を添え、頭を深々と下げキリストに祈る夫婦の姿が心に残る恵みの春を感謝の心で歌います。
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