ノートルダム教育修道女会   祈りの家告知版  (2017年5月1日更新)

     2017年度 第1回 女子青年信徒黙想会の報告


 

  
4月22日(土)〜23日(日)に、晴天に恵まれ、唐崎修道院で、今年度、第1回目の黙想会を行いました。参加者は5名で、そのうち2名が新しい方でした。

 ご指導は、お陰様で今年度も、御受難会の山内十束神父様にお願いでき、今年の大テーマは「希望への道」、第1回目の黙想会の副題は「なぜそのようなことがありえましょうか」でした。

 
 最初に神父さまは、聖書には読み方があると言われました。まず、書かれていることをそのまま理解し、受け取っても、それは聖書が言おうとしていることではなく、聖書が言おうとしていることはその奥にあり、それを読みとらなければ、聖書を読んだことにはならないこと。また、聖書の解釈は1つではない。神は自由に働かれる方なので、これしかない、これだけしかないと思ってはいけない、しかし、これこそというものがあると話されました。

 第1講話は「出エジプト記14章1-31節」で、復活の聖なる徹夜祭で必ず読まれる救いの歴史にとって大切な個所であるが、読んでいくと、いくつもの矛盾に気づく。神はその矛盾を通して何を言おうとしておられるのかを考えることが大切だ。イスラエルの民は神の助けによってエジプトを脱出し、希望への道を進みはじめるが、神から引き返して宿営するよう命じられ、また、神がファラオの心をかたくなにされたので、ファラオの軍隊に背後から襲われそうになり、エジプトにいた方がよかったと言い出す者も出てくる。モーセはどこまでも神に信頼し、神はモーセに海に向かって手を高く上げさせ、海を2つに分け、神の使いと雲がイスラエルの後ろを守って、無事に紅海を渡り切り、イスラエルの民は自由の身となった。神が直接に手を下されたのは、エジプト人の戦車の車輪を外すこと、神のなさることはいつも小さいが、大きいことの始まりである。弟子たちはこの「出エジプト」の出来事をそれぞれ自分の現実に当てはめて解釈した。イスラエルの民の不信は、弟子たち自身の裏切りと重ねられ、紅海の乾いた道を通り抜けた体験がイエスの復活を理解させた。

 第2講話は、「ルカ福音書24章13-35節」、エマオに向って逃げていく弟子たちに現れたイエスの話で、出エジプトのできごとが弟子たちに起こったのである。「お泊りください」と願い、食卓でイエスがパンを裂かれたとき目が開かれて、イエスだと悟る。「どうしてそのようなことがあり得ましょうか」とマリアが言った人生の難しい時、神への道が開かれる。神は共にいてくださる。弟子たちにとって、復活とは個々の体験だった。


 

次回の黙想会
 
日時:2017年6月10日(土)15:00―11日(日)15:30

テーマ:希望への道―おことばのとおり、この身になりますように―
場所:ノートルダム唐崎修道院
指導:山内十束 神父様
対象:独身女子青年信徒
費用:2,500円
締切:6月4日(日)まで