ノートルダム教育修道女会   祈りの家告知版  (2017年3月6日更新)

     2016年度 第4回 女子青年黙想会報告


 

  
2月18日(土)〜19日(日)の二日間、お天気にも恵まれました。神に感謝です。
テーマ「神のいつくしみを生きる」―罪と恵み― 御受難会山内十束神父様の御指導によって行われました。参加者は始めての方一名を入れ三名。
 
 
 

第1講話 はじめに、創世記1・2

「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」
をとりあげ、現代のわれわれの世界もまさにそうだ、罪とは何なのか問われている時代だ。絶望に出会うと混沌となってしまうが、苦しみの中に神の霊がおれらることに気付かないわれわれだ。この詩篇のことばに、詩篇88を重ねて祈りを深めていった。詩篇88は全体として絶望の歌のように見えるが実は賛歌なのだ。これが腑に落ちるためにもよほど祈らなければならない。神父様が今回何度も繰り返されたのが、われわれの理解と聖書のことばに「ずれ」があるということだった。

主題 ルカ 7・36〜50 「罪深い女を赦す」
食事の席=イエスの席は入り口近い、つまり下座である。女は後ろからイエスの足もとに近寄り、イエスの足に香油を塗った。「この人が多くの罪を赦されたことは」は「あなたは罪深かった」という意味、のちに罪の赦し→「あなたの罪は赦された」。
「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」→ファリサイ派の人びとが考えはじめる。それは回心への招き。イエスの心の内側(いつくしみと愛と赦し)を生きていこう。

第2講話 ルカ18・9〜14 「ファリサイ派の人と徴税人のたとえ」

「神様」・二人の神への呼びかけは同じ。だが、二人の態度は全く違った。
ファリサイ派・・「立って、心の中でこのように祈った・・。」・・自分がどういうものであるかわかっていない。
徴税人・・・・・「遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。」・・自分が罪人であることを知っている。・・罪人のわたしを憐れんでください。
 いまの 告白の祈り 「たびたび罪を犯しました」大きな誤訳・わたしの罪、わたしの罪、わたしの罪というべきところである。
 日ごろ、ややもするとさっと読み過ごしていきがちだが、聖書の深い深い意味合いを捉えることの大切さを改めて考えさせられた黙想会だった。苦しく辛くとも神のいつくしみの中なら生きていける。


 




  

次回 黙想会
 
2017年度 女子青年黙想会 第1回 4月22日(土)〜23日(日)(1日参加も可)

テーマ:なぜそのようなことがあり得ましょうか。」
場所:ノートルダム唐崎修道院
指導:山内十束 神父様
対象:独身女子信徒
費用:2,500円